4つのキーワードからひも解く ピアジェ、究極のエレガンス。

アートと融合した、芸術的なウォッチ&ジュエリー。

文:篠田哲生

現代に受け継がれる、独自の美意識。

ウズベキスタンのサマルカンドをイメージしたアートピース。着色した卵の殻を使って象嵌し、砂漠での狩りに使われていた猛禽類ハヤブサを描いています。この手法は「マルケトリ」と呼ばれています。「アルティプラノ」エッグシェル マルケトリ、手巻き(Cal.830P)、18Kピンクゴールド、ケース径40mm、ケース厚8.84mm、参考商品。

1957年に手巻きの「9P」を、そして60年に自動巻きの「12P」という2種類の極薄ムーブメントを完成させたピアジェ。しかも同時期にジュネーブにあるジュエリー工房やケース、ブレスレットの工房を傘下に収めることで、自社で一貫生産できる態勢も確立させ、自らが理想と考える時計を追求できるようになりました。
そのひとつが翡翠やコーラルなどのオーナメンタル・ストーンをダイヤルに使用したドレッシーウォッチであり、まるで宝飾品のような佇まいのジュエリーウォッチでした。
こうして積み重ねられた卓越した職人技は、現代の薄型ウォッチ「アルティプラノ」へと引き継がれています。美しい時計をつくるためには、優秀なムーブメントと優秀な職人が必須です。ピアジェはその両方を有しているのです。

卓越した職人技で魅せる、
芸術的な創造性。

下絵に合わせて卵の殻を割り、慎重に絵をつくっていきます。手作業がつくり出す温かみのある表情は、一点ごとに微妙な差が生まれるので、一点モノの価値があります。芸術作品と呼ぶにふさわしい時計です。
ダイヤルの下地になるのはラッカー。深みのあるブラックラッカーが、時計に高級感を与えてくれます。

ムーブメントが薄ければ、デザインや素材に凝ってもエレガントさが失われることはない。手巻きの「9P」と自動巻きの「12P」によって、さまざまな薄型ウォッチをつくってきたピアジェは、1970年代になってクオーツムーブメントの時代が始まると、76年に3.1mm厚という当時の世界最薄クオーツムーブメント「7P」を発表します。
時計業界を取り巻く環境が変化しても、薄型という信念はぶれることはなく、ピアジェらしさが失われることはありませんでした。社内に優秀な時計技術者、デザイナー、金細工師、宝石細工師を抱えていたので、あらゆるイマジネーションを具現化することができたのです。
現代の薄型ウォッチ「アルティプラノ」も、創造性を発揮する場として高い評価を受けています。繊細なスケルトンムーブメントに対して、ジェムセッティングを行ったり、ラピスラズリなどのオーナメンタルストーンでマルケトリダイヤルをつくったり、あるいはガラスモザイクでピアジェ ローズを描いたりと、さまざまな職人技でアートピースのような時計をつくってきました。研ぎ澄まされたピアジェの薄型ウォッチは、どんな美的表現も受けとめるキャンバスでもあるのです。

ダリとウォーホルが愛した、奇想天外な作品もすごい!

ダリ金貨を使って製作した極薄型のウォッチ。ピアジェでは1940年代からコインウォッチの製造を行っており、その蓄積したノウハウを活かして、稀代の天才芸術家サルバドール・ダリとの奇跡のコラボレーションを実現させました。
9枚のダリ金貨を使用したブレスレットウォッチは1966年に製造。コイン型の蓋を開けると時計が現れる仕組みになっていますが、厚みが2mmしかない「9P」のおかげで、優雅なデザインに仕上がっています。
ピアジェのジュエリー工房が手がけた、ダリ金貨を使ったリング。金貨を支える爪の部分まで、ていねいに仕上げられています。
1973年にアンディ・ウォーホルが購入したピアジェの腕時計。50年代にピアジェが考案した独特のケースフォルムは、ラウンドやスクエアといった伝統的なデザインコードからの脱却を目指して考案されたと言われています。
1974年に製作されたポケットウォッチ。時計のケースは本物の金塊。しかし裏返して蓋をスライドさせると、時計が現れる仕組み。内蔵していたのは、「9P」を使用した、極薄型の手巻きウォッチです。

ピアジェの極薄ウォッチに魅せられた芸術家として最も有名なのは、鬼才サルバドール・ダリです。ダリは自分自身と妻のガラ・エリュアールの肖像をモチーフにした金貨「ダリ金貨」を製作していましたが、この奇想天外で芸術品としての価値も高いダリ金貨を使って、ピアジェと時計をつくっています。
そもそもピアジェでは1940年代からコインウォッチを製造してきました。時計の蓋にするために金貨の表面を削り、残った金貨にムーブメントを収めるためにくぼみを加工し、ラグやリューズを取り付けるという作業は、繊細な技術を要します。しかしピアジェには厚さ2mmの「9P」があり、腕利きの金細工師も在籍しているため、このような難問をクリアすることができました。
ポップアートの牽引者であったアンディ・ウォーホルもピアジェの愛好家。彼が主宰する雑誌「インタビュー」を通じて、当時のCEO(現4代目会長)だったイヴ・ピアジェと親しくなったのがきっかけでした。「彼はピアジェそのものに執着していたのです」とイヴ・ピアジェが回顧しているように、ピアジェの時計を何本も所有していたといいます。
特に有名なコレクションが1950年代にデザインされ、69年に時計として誕生したドレッシーウォッチ。時計デザインの常識から逸脱した、ラウンドでもスクエアでもない、奇抜で美しいケースに魅せられたのです。
アンディ・ウォーホルは、生き方自体がアートでした。そんな彼がピアジェの時計を選んだという事実は、ピアジェの創造力が卓越したものであることの証明でもあります。

PROMOTION