おおたしんじの日本酒男子のルール Rules of Japanese sake men.
漫画みたいな日本VS.ベルギー戦
2018年7月3日の昼は、多くの日本国民が蓋を閉め忘れた微発泡の日本酒のような、気の抜けた顔をしていたことだろう。理由は明白である。ワールドカップロシア大会、日本代表の史上初のベスト8をかけた試合が深夜3時から生中継されたせいだ。世界ランキング3位の超強豪国に対して後半残り25分ほどで「2-0」でリードするというまさかの歓喜と、その後2-3へ逆転されて負けるというまさかの絶叫が、ニワトリが鳴くより先に早朝の日本を駆け巡っていた。でもよくやった日本。ありがとう日本。この場を借りて関係者へ、心から感謝の意を伝えたい。
それにしても、日本対ベルギー戦、多くの人がこう思ったのではないだろうか。「漫画みたいだ」と。試合後の早朝、僕は燃え尽きた頭で伝説的なサッカー漫画『キャプテン翼』略して『キャプ翼(きゃぷつば)』を思い出した。小学校時代、僕はサッカーに夢中だったが、その理由は『キャプ翼』にハマっていたからに他ならない。『キャプ翼』最大の魅力は、ベルギー戦の試合展開をも凌駕するドラマティックなストーリー展開である。たとえば小学生である主人公、翼くんが引っ越してきたばかりの街で、丘の上から遠くに見える天才ゴールキーパーが住んでいるという若林くんの家を見つけると、挨拶がわりに挑戦状を書いたボールを即座に丘の上からその家に向かって蹴り「えぇ!」そして数百メートル離れたその場所へ届く!「えぇぇ!」さらに、庭で練習中の若林くんが即座に反応してキャッチ!「えぇぇぇ!」これが第1話ということからも、ストーリーのハイレベルさが伝わるだろう。このシーンで高揚感を感じると同時に、思ったことはすぐ相手に伝えようという作者のメッセージを、当時小学生だった僕は若林くん以上にしっかり心にキャッチした記憶がある。
そう、『キャプ翼』には男子にとって学ぶべき多くのことが書いてあり、複雑な日本酒の世界を理解するヒントも、多く隠されていたことに改めて気づいたのだ。
生酒と必殺技は繊細である
『キャプ翼』は人生哲学も教えてくれた。日向小次郎という登場人物がもつタイガーショットという有名な技がある。ゴールポストに当たればボールは張り裂け、コンクリートの壁にもめり込む強烈なシュートなのだが、日向がこれを身に付けるまでの練習がとんでもなくキツイ。沖縄で嵐の中、荒波に向かってボールが戻ってくる度に何度も何度も全力で蹴り続け、疲労困憊で倒れる寸前に会得しているのだ。これにより、僕らの世代は「圧倒的な努力をすれば、必ず圧倒的な技を身に付けられる」という一生使える人生哲学を手に入れたのだ。ありがとう、日向。
漫画には必殺技がつきもの。だが、間違えて欲しくないのは、必殺技はすべて大雑把で似たようなもの……ではないということだ。むしろ『キャプ翼』の真髄は必殺技の細かさにある。漫画に出てくる隼シュート、イーグルショット、タイガーショット、どれも動物の名前が付いた必殺シュートだが、扱えるプレーヤーも異なれば、威力も、特徴も、会得した理由もまったく異なるのだ。僕らはそこからも学ぶべきなのである。「生酒」「生詰め」「生貯蔵」。どれも日本酒のラベルでよく見かける似たような肩書きにも見えるが、それぞれがまったく異なる特徴をもっていることを。
まず「生酒」である。これは文字通り、酒としてつくり終えてから店に並ぶまで、一切加熱処理(火入れ)を行なっていない場合に使われる名称であり、加熱処理をまったくしていないため、出来たてのフルーティで炭酸ガスを多く含むものも多い。毎年冬に登場する僕が大好きな「しぼりたて」の新酒も、実は火入れをまったくしていない「生酒」のひとつなのだ。
じゃあ、火入れはいらない?
さて、ファイヤーショットというシュートがある。『キャプ翼』に登場するカール・ハインツ・シュナイダーを語るに欠かせない必殺技だが、生酒好きにとっては必要ないかのように聞こえる「火入れ」も、実は日本酒が世界中に普及するために欠かせない必殺技なのだ。そもそも、日本酒はそのままだと酵母や菌が生きているが、熱を加えることで品質を一定の状態に留めることが可能となり腐敗を防ぐことができる。火入れは、日本酒が私たちの食卓に並ぶための安定した製造や流通を支えているのだ。逆に言えば、火入れをしない場合、ものすごくデリケートな状態を保たなければならなく、一般の酒屋やスーパーでは扱いが難しく、ほとんどが地元や、管理が行き届いた一部のお店にしか出回らなくなってしまう(そのレアさがまた魅力でもあるのだが……)。
繰り返すが、生酒は火入れをまったくしていない酒である。では「生詰め」「生貯蔵」とはいったいなんなのか。「生詰め」は、酒づくりの最終段階、酒造タンクに貯蔵される「直前」に1度だけ火入れをして、瓶詰めのときには火入れをしないもののこと。逆に「生貯蔵」は酒造タンクに貯蔵する時には火入れをせずに、瓶詰め直前に火入れをするものを指す。つまり、それ以外の日本酒は、酒造タンクに貯蔵される時と、瓶詰め直前の時、2回火入れしているということなのだ。「生詰め」や「生貯蔵」は生とはいえ、完全な生ではないし「生酒」に比べればフレッシュな感じは弱い。だが、それでもやはり火入れ2回のものに比べると風味が華やかであるため、生酒好きには人気である。先述の通り、生酒は管理が大変だ。だが、それでも「生」の風味を求める日本酒ファンのために「生」をなんとか味わってもらおうとする蔵人が確実にいるのだ。その思いの陰には、日向が嵐の海で行なったトレーニングにも匹敵する、圧倒的な努力がなされていることであろう。
4年後のために僕らができること
生酒は品質が落ちやすいため、開封前でも低温で日光は厳禁だが、開封後はさらに慎重に取り扱わなければならない。というか、劣化のスピードがとんでもないので、ちびちびと数日にわたって独り占めするのではなく、友人を呼んでサッカーの試合でもみんなで観ながら、その日の想い出とともに飲みきってしまうのがオススメである。さらに言えば、そのフレッシュで繊細な風味を最大限味わって欲しいため、フライドポテトやフライドチキンなど脂っこい強烈な味と合わせるのではなく、豆腐や白身魚、それどころか漬物で充分、いや、塩だけを舐めながらだけで味わって欲しいくらいである。サッカーの試合を観ながら塩のみを舐める集まりが、どれほど日本にあるのかわからないが、母国の伝統である黒ビールを飲みながら試合を観戦するイングランドのように、いつか「塩&パブリックビューイング&生酒」のようなイベントが普及することを切に願う。
今回、過去最高レベルでワールドカップベスト8という夢に近づいた日本代表。だが、世論と同じく僕も大会開催前には日本代表に対してほとんど期待していないなかった。どうせダメなのだろう。どうせ負けてしまうのだろう。でも同時にこう思っていたのも事実である。「もしかして」と。そう、「もしかして」があるのがサッカー界であり日本酒界でもある。今日も居酒屋の扉を開ける度に、僕は期待を込めてこう思う。「もしかして生酒があるかも」と。そんな夢をもちながら、これからまた次の大会までの4年間、居酒屋ののれんをくぐり続けるであろう日本酒男子たちに、カール・ハインツ・シュナイダーの「もしかして」を信じ続けたくなるあの名言を送ろう。
「強いものが勝つんじゃない、勝ったものが強いんだ!」(もともとは、元ドイツ代表のベッケンバウアーの言葉だが)。