おおたしんじの日本酒男子のルール Rules of Japanese sake men.
ジョブズも生酛もめんどくさい
そういえば、2月24日はスティーブ・ジョブズの誕生日らしいが、世界最高のプレゼンテーションは?と問われれば、僕は迷わずジョブズが行った2007年のiPhone発表のプレゼンと答えるだろう。彼は初めにこう切り出したのだ。「今日、革命的な新製品を3つ発表します」。え!3つ!? iPhoneが発表されるという噂はあったものの、おいおい、3つもあるなんて聞いてないよと興奮したのを覚えている。そして彼は続ける。「ひとつ目、タッチ式新型iPod」。おぉ!画面にタッチできるiPodがついに!「ふたつ目、革命的携帯電話」。やった!本当に今日出るんだ!「3つ目、画期的ネット通信機器」。え!なんだそれ!まったく想像つかない!(iPadが発表されるのもまだ先の未来である)。早く実機を見せてくれよ!気持ちは高ぶるばかりである。
しかし、むしろ話のスピードをさらに落としながらジョブズは続ける。「タッチ式新型iPod……、革命的携帯電話……、画期的ネット通信機器……」。さらに彼はゆっくりと。「iPod……、携帯電話……、通信機器……」。会場がざわめく。そしてジョブズは笑みを浮かべながら、ついにオチを語る。「そう、これらは独立した3つの機器ではなくひとつ。それがiPhoneなのさ。バーン(効果音イメージ)」。焦らし過ぎである。ある種、変態的である。 そう、ジョブズはめんどくさい男なのだ。この日、プレゼンの後半まで結局実機は登場しなかった。
しかし、めんどくさいものにはなぜか魅力があることも事実。今日は、日本酒好きが追い求める最高にめんどくさい製法の酒、生酛(きもと)づくりについて話そう。
時代は、めんどくささを求めている
居酒屋に並んでいる日本酒のラベルに「生酛」と大きく書かれたものを見たことはないだろうか。ジョブズ以上にめんどくさい製法の生酛づくりだが、最近あえて生酛づくりを始める若手蔵元や、それを置くこだわりの居酒屋店長が増えてきている。国は少子化対策でやっきになっているというのに、女子から嫌われる男子ランキングで必ず上位に食い込む「めんどくさい男」は、どうやら増加の傾向にあるらしい。いやむしろ、それが少子化の原因かも知れない。
生酛づくりをひと言で説明すると「400年前に主流だった、めんどくさい日本酒のつくり方」となる。酒づくりは、酵母や細菌など微生物の働きによって行われるというのは常識だが、昔は謎の技術だった。現代では人工的に菌を培養することも可能だが、当然昔の人はそれができない。日本酒の製造に必要な乳酸菌も、結果、自然界にあるものを偶然取り入れるしかないという、野性的な製法に頼らざるをえなかった。
しかし、だからこそ面白い点がある。自然界の微生物は常に生存競争で戦っている。そんな中、生き残った強い乳酸菌を酒づくりの中にうまく取り込むことで、その環境、その土地や場所がつくりだす特徴のある乳酸菌を酒の中に得ることができるのだ。強い乳酸菌により、酵母との生存競争もハイレベルなバトルになるため、生き残った酵母による生命力が強い日本酒が完成すると言われている。『ドラゴンボール』の天下一武道会でいえば、ジャッキー・チュンでもなく、天津飯でもなく、マジュニアとの戦いに勝つぐらいの難易度である。菌同士の戦いを乗り越えた酒、それが「生酛」なのである。生酛を飲むときは天下一武道会の決勝のステージに挑む気持ちで飲んで欲しい。
山廃だってまだまだめんどくさい
めんどくさい話にもうちょっとお付き合いいただきたい。生酛といえば山廃(やまはい)も無視できない。山廃仕込みを理解するためにはまず、生酛づくりの工程の一部である「山卸(やまおろし)」を理解する必要がある。山卸は、桶に仕込んだ酒母をオールのような櫂(かい)を入れてかき混ぜる作業だが、何百kgもの米がドロドロになっている状態なので、櫂を入れるだけでも相当な力を要する。なのに昔から「櫂でつぶすな、麹で溶かせ」と矛盾のような教えが伝わっているほど、繊細な加減が必要だ。無茶振りをするめんどくさい先輩は昔からいるのだろう。しかも、寒い時期でもひと晩中櫂を入れなければならないという、日本酒づくり最大の重労働だ。
あまりにもきつかったため、その山卸を省略しようぜという概念が生み出したつくり方が「山廃仕込み(山廃づくりとも言う)」である。厳密に言えば、生酛から山卸を省略すれば自然と山廃になるのではなく、山卸を省略すればそれに付随して他の工程のさまざまな細かい点が変わってくるのだが、そこは割愛させていただく。
生酛、山廃、どちらにしても、現在主流の速醸(そくじょう)というつくり方に比べて、倍以上めんどくさいことには変わりはない。しかしその分、野生の力が活きた日本酒となっており、複雑で濃厚。野生の乳酸菌が生み出した強めの酸味が特徴の歴史を感じる酒なのである。ここで、注意点がある。こういった酒は「めんどくさい男ってきらーい」という女子には絶対教えてはならない。きっと「生酛ってなに?」と聞いてくる割に、真剣に答えている途中でインスタなどをいじり始めるだろう。生酛は孤独に飲むべし。そう、めんどくさい男には孤独な戦いも必要なのだ。ホタルイカの沖漬けや、からすみなど濃く強い味わいのつまみを合わせ、酒自体の濃く強い味わいとぶつけるなど、今日は孤独に日本酒に向き合うぞという日の対決相手として最適な酒。それが生酛であり山廃だと僕は勝手に思っている。
日本酒男子的ジョブズ解釈
さて、生酛づくりと同じぐらいめんどくさい男、スティーブ・ジョブズ。先ほどのiPhone登場と同じくらい有名なものとして、スタンフォード大学の卒業式のスピーチがある。自らの生い立ちや闘病生活での苦悩を織り交ぜながら、自分自身の人生観を語ることで感動を呼んだ。僕も大好きなスピーチだ。その中で、こんな事を彼は語る。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
今日が人生最後の日ならなにをするか。直訳ではそういう意味かも知れないが、僕の受け取り方はこうである。「Last day」は人生最後のその瞬間を表すのではなく、生まれてからいままでの自分自身の経験からつながっている最新の日、というニュアンスなのではないかと。すなわち「いま」のとらえ方の話。20歳でも、30歳の自分でもなく、生まれてから今日までの長い時間の経験を踏まえての40歳の自分が、いまこの瞬間本当にそれをやるべきかを考えよ。と言われている気がするのだ。人生には、本当にそれをするべきかどうか迷う瞬間がある。そんな時、僕はいつもこの言葉を思い出すのだ。
Wifiが飛び交っている便利な時代に、なぜ気まぐれに飛び交っている野生の乳酸菌を人は求めるのか。歴史はめんどくさい生酛づくりや山廃仕込みを嫌っていたはずなのに、なぜ蔵元はいま、400年前から伝わるそれをまた始めるのか。そしてなぜ僕は、そんな古い考え方の酒に惹かれるのか。今日も悩みは深まるばかりだが、読者のみなさまにはとにかく、めんどくさいことを考える前にめんどくさい生酛と山廃に、一度は挑戦してみて欲しい。