オンライン時代のアイスブレイクのコツとは? 課題があぶり出された、コロナ禍のコミュニティ
コミュニティの現状について語る場合、長いスパンで考えなくてはいけないことと、短期的なことの2種類があると思っています。まず、長いほうからお話ししましょう。
ここ100年くらい、この国ではコミュニティ的なものを切り離すことによって、自由を手に入れようとしてきました。資本主義社会に対して批判的な話になるかもしれませんが、人がつながってなにかをやる、そのことを商品化したりサービス産業化したりして、経済を成長させてきた気がしています。人が集まってなにかをやることに対し、それは専門家に任せてお金を払いましょうと、どんどん置き換えていく。それを今日までやってきました。
わかりやすい例を出しましょう。かつての大家族なら、包丁の切れ味が悪くなった時、家で研げばいいはずでした。なにか壊れたら自分たちで直す。そのための道具が家にある。包丁の研ぎ方も、親から子へと引き継がれていました。ところが、やがて核家族という状態をつくり、それが現代的な住まい方ですよと喧伝した。核家族では、近くに研ぎ方を教えてくれる人はいません。家族や血縁、地縁というつながりから物理的な距離で引き離されますから。では、砥石を買い、さらにお金を払って研ぎ方教室に通うのか。いや、それなら新しい包丁を買えばいいのではないか。当然、そんな発想になります。こうして人と人とのつながりを切り、それまで人の関係性が果たしていた役割をお金で買うようになったのです。
議員をやっている友人から、最近こんな話を聞きました。支援者の家をまわり、困っていることはないか尋ねたところ、あるおじいちゃんが「小学生の孫がコロナにかかった」と言います。「小学生なら死亡のリスクも高くないから」と返すと、「学校でいじめられたり、家が地域でつまはじきにされるのが心配」と答えたそうです。近隣で包丁の研ぎ方を教え合える関係性があれば違ったかもしれない。でも、そうではない地域の在り方を、長い時間をかけてつくってしまったのです。
これまで100年かけて人のつながりを切ってきたのですから、同じくらいの時間をかけて新しく紡ぎ直さなくてはいけないかもしれません。人のつながりは、プログラムを書いてパッとつなぎ直すようにはいきませんから。このような社会をつくってきた結果が、いま新型コロナウイルスの蔓延であぶり出されている。そのことを整理しておく必要があります。