バイオアートは先進技術の結晶たるバイオテクノロジーと表裏一体の存在だが、その登場は意外にも古く、1997年にエドワルド・カッツという在米ブラジル人のアーティストが、自らの身体にRFID(ID情報が書き込まれたタグ)を埋め込み、これを“バイオアート”として発表したのが始まりとされている。なお、スウェーデンやドイツ、アメリカなどでは今日、数千人が電子マネー、家や車の鍵代わりに手などにRFiDを埋め込む手術を受けている。
カッツの名前が一躍世界に知れ渡ったのも、彼によるバイオアート作品だった。それは、2000年に発表した“光るウサギ”「アルバ」だ。一見すると普通の可愛らしいウサギではあるが暗闇で紫外線光を当てると全身が緑色に発光するのである。
発光はオワンクラゲから採れる光るタンパク質「GFP」によるものだ。対象生物の遺伝子にGFP遺伝子を結合し細胞に戻すことで、その生物の細胞内でもGFPがつくられるという仕組みを用い、カッツは作品として光るウサギをつくり出したのだ。
さらに衝撃的なビジュアルだったのが、遡ること3年前の97年にマサチューセッツ大学医学部の麻酔科医のチャールズ・バカンディらによって作り出された「バカンティマウス」。ネズミの背中に人間の耳が生えたような、通称”耳ネズミ”である。
これは、ネズミの背中に軟骨細胞を移植し培養することで人間の耳をつくり出したもの。しかし、移植された軟骨細胞は実際は牛のものであり、生分解性の金型を使用することで人間の耳のカタチへと成形させたものである。
なお、このマウスはバイオアートではなく、再生医療分野の研究の一環であったためアルバと同一に考えることは出来ないが、このようにバイオアートと遺伝子工学など医療系の研究はクロスオーバーしており、そうした論理的な問題を含め、バイオアートが炭鉱のカナリアとして危機を発見する役割を担うのは必然的ともいえるだろう。
ホーキング博士が懸念した、「自己設計進化」という未来。
バイオアートが台頭する以前、すでに90年代の前半にはバイオテクノロジーの発展に警鐘を鳴らしていた人物がいる。宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士だ。
私がこれまでに感銘を受けた講演のひとつが、ホーキング博士が1994年に行ったMac ワールドエキスポの基調講演だ。そこで博士は「人類はいずれ自分のように、遺伝子的な要因で病気になった人たちを救うため、遺伝子を操作してその病気を克服するだろう」。しかし、続いて彼が言ったのは「遺伝子操作が進むと、最初は病気の予防するための試みが、だんだんと他人よりも優秀で強い遺伝子、たとえば、より長生き出来る遺伝子などを生み出す方向に向かうだろう」というものであった。
博士はこれを「自己設計進化」、つまり、自ら肉体をつくり出すことと言っていたが、まさしく倫理に反した自己設計進化を実践してしまったのが、一昨年に大きな話題となった、世界で初めてとなる「ゲノム編集赤ちゃん」の誕生だろう。
赤ちゃんの誕生は、2018年11月に香港大学で開催されたヒトゲノム編集国際会議で、この実験を行った中国・南方科技大学の賀建奎准教授により発表された。実験に参加した8組のうち、結果的にふたりの女性が妊娠。そのうちのひとりが、11月にルルとナナと呼ばれる双子の女の子を出産したという。
賀准教授は会議で自身の研究結果を「誇りに思う」と述べていたが、ほかの国同様に中国でもヒト胚へのゲノム編集は倫理に反するとして禁止されている。この会議以降、賀准教授は深圳市内での自宅軟禁の後、懲役3年の実刑判決が下された。
個人が自宅で行うような、「ストリートバイオ」という新潮流。
賀准教授が行ったゲノム編集は倫理に反した実験ではあるが、先に食物を例に述べたように、遺伝子操作自体はそこまで縁遠い話ではない。
上野に「鳥人間」という“ハッカー夫妻による変な名前の会社”と自ら明言するユニークなベンチャー企業がある。「人工衛星観測支援アプリ」で著名となった会社であるが、その会社が2013年に製造したのが、DNA増幅器(現在は「NinjaPCR」に改名)だ。
遺伝子操作を行う場合、通常はDNA増幅器で数万個のレベルでクローンをつくる必要があるが、問題はその価格。通常40万円から100万円ほどかかるのだが、彼ら夫妻は自ら設計し、パーツを購入して製造。オープンソースとして製造法を公開するとともに、これを中学、高校を対象に98,000円の破格で販売しているのである。
この増幅器をはじめ安価なパーツや機器の誕生により、研究所や大学などの専門機関でなくても、DNAに関する研究がさかんに行われるようになった。この傾向を「ストリートバイオ」というが、かつてはAppleもガレージカンパニーと言われていたように、会社はもちろん個人でもガレージや自宅の一室で簡単に実験ができるような環境が整ってきたのだ。