芸術の統合を目指した、バウハウスの実験精神。

『開校100年 きたれ、バウハウス ─造形教育の基礎─』

東京ステーションギャラリー

芸術の統合を目指した、バウハウスの実験精神。

川上典李子 エディター/ジャーナリスト

ヴァルター・グロピウス『バウハウス・デッサウ校舎』1925-26年。東京展の会場は、バウハウス開校年に近い1914年開業の東京駅にある美術館。38年にニューヨーク近代美術館でのバウハウス展でヘルベルト・バイヤーが手がけた床面デザインを参照した、展示の趣向も併せて楽しみたい。展示は約300点。 撮影:柳川智之(2015年)

ドイツ、ヴァイマールにバウハウスが開校したのは1919年。設立者である建築家のヴァルター・グロピウスは、「バウハウス宣言」で、手工作と芸術の新しい関係に触れた。
「バウハウスは、あらゆる芸術的創造活動を集めて統一すること、そして諸々の創作芸術的部門──彫刻、絵画、美術工芸と手工作──を不可分の構成要素として新たな建築芸術へ向けて再統合することに努める」。その4年後に彼は、科学的領域の包含や工業との結びつきについても記している。
教師として招かれたのはヴァシリー・カンディンスキーやパウル・クレー、ヨハネス・イッテン、ラスロ・モホイ=ナジら気鋭の芸術家。同校はナチスの弾圧を受け14年間で閉鎖してしまうが、洞察力や想像力を引き出す基礎教育は後の造形教育の基礎となり、実験的な工房は多くの才能を育んだ。
硬直的なものを回避する、とグロピウスが述べ、成長するように変化してもいた教育の場はどのようなものだったのだろう。バウハウス創設100年を機に企画され各地を巡った展覧会の締めくくりとなる東京展が開幕した。
今回紹介される7名の芸術家の授業から、身体性の重視、協業の重要性など各教師のヴィジョンが浮かび上がる。家具や金属、陶器、織物から印刷・広告、舞台まで幅広い工房と建築科の成果には、芸術と技術の統合の在り方を考えさせられる。同校で学んだ水谷武彦、山脇巌、山脇道子、大野玉枝の作品が一堂に会する機会も貴重だ。
最後の校長となった建築家のミース・ファン・デル・ローエはこう述べていた。「バウハウスは理念」であり「それゆえにすべての世界中の先進的な学校に途方もない影響を与えた」。バウハウスとはなんだったのか。芸術と技術の統合を目指した理念と、その実現に向かった果敢な活動を、さらに深く知ってみよう。

マルセル・ブロイヤー『クラブチェアB3 (ヴァシリー)』1925/26年、宇都宮美術館蔵。

ヨースト・シュミット『「バウハウス展」のポスター』1923年、ミサワホーム蔵。

『開校100年 きたれ、バウハウス─造形教育の基礎─』
開催期間:7/17~9/6
会場:東京ステーションギャラリー
TEL:03-3212-2485
開館時間:10時~18時(金曜は20時まで) ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月(8/10、8/31は開館)
料金:一般¥1,200(税込)
www.ejrcf.or.jp/gallery ※要事前予約

※臨時休館や会期の変更、入場制限などが行われる場合があります。事前にお確かめください。

芸術の統合を目指した、バウハウスの実験精神。