サステイナブルという言葉は"合唱"などと揶揄された時期を経て、真に共通認識として僕たちの生活に浸透してきているが、循環型社会をファッションに当てはめた場合、最も近道なのが「リユース」、そのまま使うことだろうと思う。
服におけるリユースとはつまり、日本人にとって馴染み深い言葉では「お下がり」、横文字で言えば「セカンドハンド」「ユーズド」、オシャレに言おうとすれば「ヴィンテージ」などと言い換えられる。実際には単純にイコールではないけれど、段々と同義語とに近くなってきている。
僕が初めて着た「知らない人のお古」は、中高生当時に増え出していた、主にアメリカで買い付けた古着を売る店で手に入れたものだった気がする。洗濯され、乾燥機にかけられ、糊のきいた舶来の古着はその当時の自分にとって、単純な中古という概念とは異なった次元のものとして捉えられていた。時は経って、近頃の古着は従来のアメリカ、ヨーロッパで買付けられたもののほかに、フリマアプリを利用した個人間の売買やブックオフのような中古の本・CDと一緒に古着も売る大手中古買取販売店、ブランド中古品店、入りやすく改装された質屋、昔ながらの週末に開催されるフリーマーケットや骨董市などなど、多様な形で流通するようになった。
古着屋とフリマは別にしても、少し前ならこういった中古品店で買ったものは入手先を明かしたくないような気がしたけれど、最近では「どこそこのブックオフで手に入れた」という会話が、とくにお洒落な若い人から聞こえる機会が増えた気がする。かつては大量の古着の中からお宝ヴィンテージをディグって来た者が勝者だったのが、いまはノンヴィンテージでも、たとえそれがご近所のお父さんお母さんの古着だったとしても、使いこなした者こそ勝者に見える社会に、いつの間にか変わっている。こういった感覚が一部の若者から拡がり、常識として定着すれば、ファッションにおけるリユースの概念は大きく変わるだろう。
中古市場の盛り上がりの一方で、最新コレクションの売れ行きが滞っては、それを生業としている人々にとっては痛手となり得る。技術の伝承や従事者の生活を考えると、こちらも持続可能でないとならない。
大量生産、大量消費の時代を経て表面化した環境問題だが、一方でアパレル、ファッションアクセサリー業界は、激しい競争があったからこそ切磋琢磨し、その中で生まれた傑作も少なくない。当然のジレンマの中で揺れるファッション業界、のみならず市場経済全体。社会のあり方、働き方が問われるのは自明の理だ。
ヒッピーやパンクが登場した時代にも、若者達は自由な発想で新しい表現を創り出したし、それに見合う安価なものを掘り出して自らを表現した。いずれも時代のマジョリティに抗い、その隙間を縫って発生した文化である。
いまの矛盾した状況も、その逞しい精神で乗り越えられると期待したい。
個人的には、いまは古物漁りがとても楽しいタイミング。明快な答えは無いけれど、そうこうしている間に、目指すべき社会の形が見えて来ることを願う。