未来を夢見て生まれた、3台のスーパーカー【マツダRX500編】
1996年のホンダNSXまで、ミッドシップの日本製スーパーカーは夢だった。70年代から脈々と続く、技術とデザインの挑戦を3台のクルマで振り返る。
【1970年 マツダ RX500】「コスモ・スポーツ」の後継を目指した習作。
「これは単なるショーカーではなく、ミッドシップのロータリースポーツカーというコンセプトで、『コスモ・スポーツ』の後継を目指した試作車です」と証言するのは「マツダRX500」のデザイナーである福田成徳だ。
大阪万博に沸く1970年の第17回東京モーターショーは、オイルショックを迎える前の自動車界にとってピークともいえるショーであった。会場には「トヨタEX7」「日産270X」「126X」「いすゞベレット1600MX」とウエッジシェイプデザインのスーパーカーがひしめいていたからだ。
その中にひときわ異彩を放つ黄色いスーパーカーの姿があった。その名はマツダRX500。ロータリー・エンジンの実用化で名を挙げた自動車メーカーのマツダが、創立50周年を記念して製作したミッドシップ・スポーツである。
「当時、設計部の部長だった松井雅隆さんが“オフライン5:5”というのを提唱されたんです。成功率50%でよい、半分は捨てる覚悟でよいものをつくろうという考え方ですね。社内では65年くらいから海外の動きを見て、ミッドシップをやらなければという気運がありました。そんな時にコスモの後継ぎをどうしようという話になって、ミッドシップはやらなきゃねと、わりと軽く言われた気がします。でも表立ったプロジェクトじゃないから有志でやろう、となる。手を挙げたのは私を含めた5人くらいでした。作業はすべて時間外。昼間は『ファミリア』をやりながら、すべて残業時間にやったんですよ」