華麗なる転身を遂げた、アメリカ車黄金期を象徴するラグジュアリーカー【名車のセオリー Vol.7 キャデラック】
時を経ても色褪せず圧倒的に支持され続けるモデルを紹介する、連載シリーズ「名車のセオリー ロングヒットには理由がある」。第7回で取り上げるのは、アメリカンドリームを体現する高級車のキャデラック。煌びやかでゴージャスなクルマは、先端技術を詰め込んだ先進モデルでもあった。
富と名声を得た成功者が手に入れる高級車、アメリカンドリームの象徴、ロックスターが乗り回す派手なクルマ――。キャデラックに、いまも多くの人がもっているイメージである。間違いではない。誰もが真っ先に思い浮かべる1950年代のキャデラックは、世界のカーデザインの最先端を走っていた。しかし、デザインだけで語るのは不十分だ。アメリカのゼネラルモーターズ(GM)の中で、最も多く最新技術を取り入れてきたのがキャデラックなのだ。量産型V8エンジンやV16エンジン、シンクロメッシュ機構、ダブルウィッシュボーン式前輪独立懸架、パワーステアリング、ヘッドランプの自動調光システム、エアコンディショナーなどが挙げられる。なかでも画期的だったのは、1912年に採用されたセルフスターターである。それまでエンジンの始動は人力で行われており、大きな力を必要とする上に事故も頻発していた。自動車を誰もが運転できる乗り物にした功績は、大いにたたえられるべきだろう。
キャデラックが誕生したのは1902年。設立したのは、ヘンリー・フォード・カンパニーのチーフエンジニアだったヘンリー・マーティン・リーランドである。08年には、世界で初めてイギリス王立自動車クラブ(RAC)の部品互換性テストをクリアし、部品の標準化を達成した。09年にキャデラックはGMに買収され、高級車ブランドを担うことになる。リーランドは17年にGMを離れてリンカーン社を設立し、22年にフォード傘下に入った。アメリカの高級車ブランドとして並び立つキャデラックとリンカーンは、同じ人物によってつくられたのである。第二次世界大戦が終わるとアメリカは大量消費社会となり、自動車は購買意欲の対象として脚光を浴びる。その頂点に立ったのがキャデラックだった。この印象があまりにも強烈で、キャデラックのブランドイメージが形づくられたのだ。エルヴィス・プレスリーが乗っていた「ピンク・キャデラック」こと55年型のキャデラック フリートウッドは、わかりやすいアイコンである。
エルヴィス・プレスリーはアーサー・ガンターの「Baby, Let's Play House」をカバーした際、“You may get religion”という歌詞を“You may have a pink cadillac”に替えて歌っている。この時期のキャデラックに採用されていた巨大なテールフィンは、ロッキードの戦闘機P-38 ライトニングにインスピレーションを受けたものだと言われる。48年モデルで控えめに使われた装飾は年々エスカレートし、59年に頂点を極める。空力的にはまったく意味のない形状だったが、その影響はヨーロッパや日本にも及んだ。アメリカ車の黄金期のシンボルとなったゴージャスな意匠である。しかし60年代に入るとテールフィンは急速に縮小し、消えてしまった。虚飾が必要とされない時代になり、あからさまに見栄を張ることは悪趣味と考えられるようになったのだ。2019年公開のアメリカ映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で、レオナルド・ディカプリオが演じる落ち目のハリウッドスターが乗っていたのは1966年型のキャデラック ドゥビル クーペ。過去の栄光にとらわれた男というキャラクターを見事に表現したセレクトだった。