松本幸四郎から市川染五郎に受け継がれ、高麗屋の芸を見守り続けてきた稀代の品とは?
Pen 2020年8月1日号『愛用品と、ともに。』特集に登場してくれた歌舞伎俳優の松本幸四郎さんと市川染五郎さん。コロナ禍で公演が相次いで中止となる状況のなか、幸四郎さん愛用の鏡台を囲みながら、芸に対する思いを親子で語ってくれた。
今回、愛用品としてご紹介いただいたのは、高麗屋に代々受け継がれた鏡台。幸四郎さんの曽祖父にあたる七代目松本幸四郎さんから譲り受けた。「僕が20代の頃、市川染五郎時代に譲られたものです。鏡台に彫られている三ツ銀杏は染五郎の紋になります」。2018年に十代目松本幸四郎を襲名するまで、長らく市川染五郎としてこの鏡台とともに芸の道を歩んできた。
七代目が誂えたこの鏡台は、鏡と引き出し、化粧筆をかける枠の部分がそれぞれ分解できるようになっており、移動の際はこれも特注でつくられたケースに入れて持ち運ぶ。今回の撮影時も、4つのケースを幸四郎さん自らがスタジオに運んでくれた。「これはおもに東京での公演で使ってますね。遠方にはもう少しコンパクトなものをといろいろ使い分けています」
幸四郎さんが語る横では、染五郎さんが静かに耳を傾けている。「この鏡台は幼い頃から見ているので馴染み深いですね。僕は絵を描くことが好きなので、顔をする(化粧をする)のは絵を描く感覚に近いです」。日頃から水彩で歌舞伎の絵を描いているという染五郎さん。プライベートでもつねに歌舞伎へのモチベーションを保ちながら、父であり役者の先輩である幸四郎さんの教えを守り日々精進を続けている。
鏡台のほかに代々譲り受けるものはありますか? との質問には「台本ですね。これはもう秘伝のタレが入った壺みたいなもので(笑)。先代の演じてきた証ですから、なによりの宝ですよね。これを受け継ぐときは、先人がつくりあげてきたものを後世に伝える使命を受けたことを意味するんです」と幸四郎さん。昔は映像もない時代。記録として残っているのは台本だけだ。「この鏡台を使っていた七代目の記録は唯一、映画が1本残っているだけです。ただ映像があったとしても、見えない部分は台本から読み取るしかない」。いっぽう染五郎さんは「父からは台本はどんどん書き込んだ方がいいと言われているので、どんな小さなことも書き留めています」と話す。同じ演目を再び演じるときは台本を見返すことで新たな気付きがあるのだという。いつか譲られるであろう鏡台を眺めつつ、憧れの弁慶を目指して父の背中を追いかける染五郎さんの姿に、歌舞伎界の未来が重なる。
現在、有料のオンライン配信による『図夢歌舞伎』に、幸四郎さんと染五郎さんが出演している。歌舞伎三大名作のひとつ『仮名手本忠臣蔵』の世界を幸四郎さんが新たな構成を施し、通し狂言として全十一段を5週にわたり5回上映する。すでに4回目まで上映されており、多くの視聴者から反響を得ているそうだ。リアルタイムにこだわった臨場感、分割画面やチャットを用いた驚きの演出など、この時代にふさわしい実験的な舞台が繰り広げられる。7月末までアーカイブ配信もあり、幸四郎さんと染五郎さんの親子共演が見られる。貴重な映像をお見逃しなく。