変革の後に残るものが、伝統として継承される――。「い草」の新たな価値と、味わいを磨き続けるヱビスビール
新たない草の価値を求めて、さらなるステップを踏む。
日本固有の文化として継承されてきた畳。しかし、生活様式の変化や安価な輸入品の流入によって、国産のい草が市場で占めるシェアは、2割弱に留まっています。そのような状況で、い草の新たな可能性を追求しているのが石橋直樹さんです。祖母、父ともに地元福岡の特産品である掛川織のつくり手として活躍し、い草に関わるのは直樹さんで三代目になります。
「現在、国産い草の約98%は熊本県八代で生産されています。細やかな管理のもとで栽培されるので、目が詰まっていて強度や耐久性、美しさなどにおいては海外のものより断然優れています」と、石橋さんは話します。八代のい草の歴史は室町時代まで遡ります。元々水はけがよくない湿地帯だったため、この地を治めていた大名によってい草の栽培が推奨され他のです。その後、明治時代に製織の技術が発達するとともに生産量が増加。戦中・戦後の混乱期を乗り越えた昭和の高度成長期に、熊本県のい草は栽培面積で全国1位を記録しました。
福岡県南部に広がる筑後地方は生産量こそ決して多くはないものの、い草の産地として知られ、この地方だけに伝わる掛川織を生み出しました。また、大川市は生産高日本一の家具の町としても知られています。石橋さんの転機となったのは約20年前。東京のデザイナーと大川の家具が協業する仕事のために、北欧を視察で訪れたときでした。「ものづくりの考えが根本から違っていました。日本は新製品が重視されますが、北欧は半世紀以上前にデザインされたものが大切に売られていました」。衝撃を受けた石橋さんは以降、い草を使った家具や雑貨を企画し、海外の展示会にも出展するなど精力的に活動してきました。
近年、い草の可能性を感じることのひとつが、室内材などの素材としての価値だと言います。「い草は吸放湿性や消臭性、断熱性、抗菌性に優れるほか、空気の浄化能力も高く、国産なら耐久性や美しさも兼ね備えています」と、胸を張ります。2016年には東京・八芳園の黒畳を手がけ、これまでのイメージを覆すシックなデザインで新境地を拓きました。
人々の暮らしに寄り添い、味わいを磨き続けるヱビスビール
明治の終わり、機械化によって畳の生産量が劇的に増え、八代のい草の栽培面積も急増しました。この技術革新が起こった20年ほど前、1890年に誕生したのがヱビスビールでした。1900年に出展したパリ万国博覧会では金賞を、1904年にアメリカで行われたセントルイス万国博覧会ではグランプリを受賞しました。
「長い歴史の中で、い草製品は何度も変革期があったはず。過去を継承することだけが伝統ではなく、さまざまな変革の後に残るものが伝統として昇華していくのだと思います。明治時代に生まれたヱビスビールも人々の暮らしに根づくものづくりで味わいを磨き続け、それが継承されている点に共感します。だからこれからも大川のい草製品は挑戦し続けないといけないし、その結果が伝統になるかどうかは時代が決めてくれるでしょう」
そんなヱビスビールと相性のよい地元の食材といえば、近くの有明海や長崎の平戸沖、玄界灘などで獲れる新鮮な魚介類。大川市で40年以上にわたって地元の人たちに愛されている「玉寿司」では、マダイやヒラメ、スズキ、サヨリ、キス、サバなど、すべて天然ものを使った造りや握りずしが好評です。天然ものならではの魚介の歯ごたえや凝縮され旨味は、ヱビスビールのしっかりとしたコクやまろやかな味わいを引き立てます。また、毎年5月1日から7月20日の産卵期間だけ解禁されるエツも見逃せません。エツとは有明海に生息し、産卵期になると筑後川を逆上するカタクチイワシ科の魚。獲ってから30分ほどで鮮度が落ちるため地元でしか食べられず、解禁期間中は脂がのったおいしさを堪能することができます。
折よく、4月23日から期間限定で「復刻特製ヱビス」が発売されます。1972年のヱビスビールを当時の熱処理製法で再現し、厚みのある味わいを復刻。缶には当時のラベルをモチーフに使い、裏面に1890年の発売から現在までの歴史を年表風に表現しています。
明治時代の技術革新が栽培面積日本一のきっかけとなった、八代のい草をいまも大切に使い続ける石橋氏。以前に勤めていた会社から独立し、昨年末に立ち上げた新会社のインスタイルは、地元・大川のものづくりに関わる人たちとの取り組みを重視しています。人と人との交わりを織っていくという“織る”がキーワード。すでに家具ブランドなどといくつかのコラボレーションを行い、これまでとは違った変革が起こりつつあります。
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