迷いたくなる街、荒木町の昭和グルメ
荒木町は迷いたくなる街だ。中央を南北に通る車力門通りから脇道を入って、石畳の路地裏に風情のあるバーを見つけたり、突如現れた階段で猫と出会ったり。次は、あの脇道に迷い込んでみようとぶらついていたら、夜風に運ばれて三味線の音が耳に届く。
江戸時代、荒木町一帯は美濃高須藩松平家の上屋敷だった。その庭園の大きな池は、明治期に入ると市民に開放され、東京有数の景勝地として人気を博したという。その後、しだいに池の周りに茶屋や料亭が集まってきて、荒木町は花街として発展していった。
そして1983(昭和58)年に料亭と待合、芸妓屋の三業組合が解散すると、かつての花街は面影を残すのみとなった。しかし、板前たちが腕をふるっていた街の伝統もあってか、次々と人気店が生まれ、食通が通う美食の街としても知られるようになった。
小体な店が主流なため、大勢で騒ぐよりも、気に入った店にひっそり通う客が多いのも荒木町の飲食店の特徴。そして店主はみな、この街を愛している。歴史に驕らず、街の魅力をより多くの人に知ってもらおうと商店会を挙げてイベントを開催するなど、街全体を盛り上げていくための努力を惜しまない。だからこそ、荒木町が好きだと訪れる客に対して、どの店も温かく心を開いてくれるのだろう。
越後料理 以志久──新潟の地酒に酔いつつ、大将との会話で献立を組み立てる。
「いらっしゃい」と笑顔に迎えられてカウンターに着く。空腹ならば、目の前の大皿から煮物を選び、刺し身を盛り合わせてもらう。八海山か清泉か、あるいは越の川の燗酒か、いずれにせよ新潟の地酒を注文して、御通しのなまこ酢とちびちびやりながら待つ。そこで再度カウンターの食材をじっくりと眺め、食べたいものがあったら、大将の石澤芳久さんと調理法を相談。「松茸は土瓶蒸しがいいね。サーロインはステーキだな」とお薦めを聞けば、女将のひとみさんが「空腹具合に合わせて量も調整できますよ」と声をかけてくれる。
新潟で料理旅館を営んでいた先代が、情緒ある街並みに惹かれて荒木町に拠点を移してから今年で48年目。いまは息子である芳久さんが夫婦で店に立つ。創業時より変わらぬ田舎風の味付けと、ふたりの気さくな接客が、訪れる者すべてを故郷に帰ってきたような寛いだ気持ちにさせてくれる。
東京都新宿区荒木町10-29
TEL:03-3355-0149
営業時間:17時30分〜24時
定休日:土、日
こちらは2020年12月15日(火)発売のPen「昭和レトロに癒されて。」特集よりPen編集部が再編集した記事です。
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