おおたしんじの日本酒男子のルール Rules of Japanese sake men.
DA PUMPの「賞味期限」は誰が決める?
先日、2018年の紅白歌合戦出場歌手が発表となったが、10代や20代に人気の初出場のアーティストに紛れて異彩を放つのが、DA PUMPだ。なんとグループとしては16年ぶりの出場となるらしい。16年前といえば、スポーツでいえば日韓ワールドカップが開催された年。映画『ハリー・ポッター』シリーズの第1作目が公開されて間もないタイミング。そして、アゴヒゲアザラシのタマちゃんが話題となった年である。タマちゃんが水面から顔を出すか出さないかで日本国民が一喜一憂していた当時、DA PUMPの輝きはまさに頭ひとつ抜けていた。
それでも、見かける機会は徐々に減っていった。一体なぜなのだろう。リーダーISSAの卓越した歌唱力やステージでのパフォーマンス力は、業界内でもゆるぎない評価を得ていたといってもよいだろう。だったらどうして、私たちの前から姿を消したのか。僕はこう思うのだ。その評価の高まりが「業界内」過ぎたからなのではないかと。当時は文化をつくり上げていたものの先頭には必ず「業界」の牽引があった。そして、そこから生まれる広がりこそが流行という意味だったのではないか。だが、インターネットとSNSの進化により、話題を牽引するのは「業界」ではなく「個人」へと変化していった。求められる才能の質も変わり、多くの「業界一押し」のアーティストが大きな流れに飲み込まれて姿を消していった。
しかし、彼らが再浮上した理由もまた、インターネットとSNSでもあるというのが面白い。どんな人気アーティストも賞味期限があると言われるが、その判断は「個人」がする時代なのだ。ちなみに、日本酒にも賞味期限の記載がない。これもまた「個人」に委ねているとも言えよう。
賞味期限と保存の話
なぜ、日本酒のラベルには賞味期限の記載がないのか。結論から言えば、アルコール度数が高い日本酒は保存状態が保たれていればいつまでも楽しめるから、食品衛生法上の賞味期限の表示義務がないのだ。ラベルには製造年月は記載されているが、これは日本酒が仕込まれた時期ではなく瓶に詰められた日付である。そのため、製造年月からいつまで飲めるかの判断を問われるのだが、つくられたタイミングが同じでも、瓶に詰められたタイミングが異なれば、製造年月も異なったものになってしまうため、その予測がさらに複雑になってしまう。
一般的には、火入れをしている日本酒ならば製造年月から1年以内、「生酒」「生詰」「生貯蔵」系の日本酒であれば半年以内には飲みたいと言われている。だが、もともと1年サイクルでそれぞれの時季の酒を楽しむという文化が根付いている日本酒の場合、季節ごとに蔵から出荷されるものは、できるだけ早くその瓶を空けるのがお薦めである。酒蔵ごとにこだわりの貯蔵法で置いていたものを、いまここだ!という最適なタイミングで出荷しているだろうからだ。「新酒」は見つけた瞬間に出来立てのフレッシュな状態を味わってほしいし、「ひやおろし」も見つけた瞬間に秋の訪れを感じながらその熟成感を楽しむことが、酒蔵のベストパフォーマンスを理解する最適な方法だと思う。
つまり、これを言ったら身も蓋もないかもしれないが、僕としては「保存」は蔵にお任せして自宅ではしない。とにかくその時期に飲める酒を店で見つけた瞬間、なくなる前にその場で味わうのがベストだという結論に至っている。
とはいえ保存したい人へ
とはいえ、贈りものやお土産など、どうしても自宅に日本酒を置いておく場合がある。そんな時に注意しておきたいことをまとめておこう。まずは直射日光だ。これは最悪である。たった数時間で目ではっきりわかるような色の変化と、日光臭という異臭が発生する。できれば蛍光灯の光にも注意したい。新聞紙に包むなどが安全だろう。そして温度だ。光が当たらなくても常温で室内などに置いていくのは危険だ。時間が経過するにしたがって、「老ね香(ひねか)」と呼ばれる独特のにおいと雑味が増す。「生」系のお酒なら、より低温保存は必須である。
ちなみに、あまり知られていない話でいうと、保存する時、日本酒はワインとは異なり「縦置き」がよいとされる。お酒はキャップ(金属の場合は特に注意)に触れることで味に変化が出てしまう。また、日本酒が空気に触れる面が広くなり、より酸化が早く進んでしまうという理由からだ。だが、日本酒にとって時間とともに酸化していくことは悪というわけでもない。時間をかけることで、角が取れた丸みのある味わいになり、より多くの人に受け入れられることもあることを伝えておきたい。
さて、まさに最適な保存で最高に熟成されたタイミングの紅白出場となる、国民的アーティスト、DA PUMP。一体どのような味わいを僕らの記憶に残してくれるのだろうか。大晦日はだいたい眠気に負けて寝てしまうのだが、今年は布団からタマちゃんのように顔を出して、彼らの声に耳をすましてみようと思う。