おおたしんじの日本酒男子のルール Rules of Japanese sake men.
新幹線の前で記念撮影をする男
仕事柄、東京と東北を行ったり来たりすることが多いのだが、最近は夏休みの時期だったせいか、新幹線の前で記念撮影をする子どもをよく見かけた。嬉しそうにポーズを決めるこどもたち。僕も小さい頃、よく新幹線の先頭で写真を撮ってもらったものだが、数十年経っても変わらない風景に微笑ましさを感じる。しかし、特筆すべきはその様子を温かく見守るお母さんの横で、まるでカポエラ(ブラジルの格闘技)の技のように低姿勢で必死にベストアングルを探すお父さんだ。
新幹線と子どもを見つめるお父さんの表情は、個人差はあれど、みな高揚しているように見える。子どもたちよりもむしろ嬉しそうだ。新幹線という乗り物は環境が変わっても、年齢が変わっても、男子にとって絶対的なカッコよさの象徴であり、憧れの対象。いや、大人になってから感じる高揚感は「乗り物」という存在に対してというよりも「新幹線に乗って目的地に到着する行程」全体の魅力に惹きつけられているせいかもしれない。もちろん僕もそうである。仕事だろうが旅行だろうが、新幹線で移動となるとなぜか血がたぎる。スマホの座席予約画面で静かそうな席を予測して手配。レンガづくりの東京駅を眺めつつ丸の内側から改札へ入り、移動中に食事を兼ねる場合は駅弁を買って改札へ向かう。僕の場合、東京駅では「崎陽軒のシウマイ弁当」、仙台駅では「かき福の大粒三陸かきめし」を買うのが定番だ。ホームで新幹線が滑り込んでくる勇姿を見届けると、今日はE5系かなどと車体をチェックしながら乗り込み、1画面に10文字程度しか情報量のない電光掲示板の最新ニュースを確認し、後ろの席へ気を使いながらシートを倒す。弁当を食べたあとはなんとなく広告だらけの車内誌にひと通り目を通し、落ち着いた頃に「コーーーッ!」と吸い込むトイレに寄りつつ、うとうとし出した頃に見えてくる目的地の風景。その一連の工程すべてが、新幹線という特別な体験なのだ。ついついカポエラの技をくり出しながら記念撮影してしまうのも納得できる。
日本酒も同じだと思った。E5系に負けない曲線美の一升瓶に詰まった「日本酒そのもの」ももちろん素晴らしいのだが、日本酒が完成されるまでの工程を想像することで感謝と尊敬の念が加わり、味に深みが増すのだと。
酔いつぶれるだけではダメ
この連載では、精米歩合や貯蔵など知識を断片的にひも解いてきたが、そもそも、米が酒になるってすごいことだ。詳しくはどういうことなのか。そのつくり方の工程全体の味わい深さが、日本酒ファンの気持ちを育てているといっても過言ではない。そこで、読者にもざっくりとでも把握しておいてもらうのが重要だなと、カポエラお父さんを見て考えた。情報が複雑化する現代において、スペシャリストだけではなく、ゼネラリストの特性が必要とされる時代である。そう、どれだけ全体を俯瞰して考えられるかが重要なのだ。鮨屋は握りだけ得意でもダメ、タクシーの運転手は運転がうまいだけでもダメ、クリエイティブディレクターは面白いことを言うだけではダメ。つまり、日本酒男子も居酒屋で旨い旨いと酔いつぶれるだけではダメな時代なのだ。
さて、日本酒づくり全体の味わい深さまで理解する、ゼネラリスト日本酒男子になるためにその工程を俯瞰して追ってみよう。細かく説明すれば無限に語るところがある日本酒づくり。加えて、昔から伝わる工程の名称や分類など、日本酒は好きだけど、なんかマニアックで難しそうという理由で覚えることを放棄する読者も多いことだろう。だが、安心して欲しい。ライトユーザーでも安心して読めるのがこの連載の趣旨である、結論から言おう。日本酒づくりは、簡単に言うと3つの工程しかない。
「備える」→「変わる」→「整える」
気持ちが楽になっただろうか。今日はこれだけ覚えていただければ大丈夫。酒づくりを始める際の準備が「備える」。そして、米と水だったものが、さまざまな要因により日本酒へと「変わる」。それをいつでも出荷できるように「整える」。以上である。さて、この3段階を順を追って説明しよう。
黄麹菌はとにかく熱いヤツ
「備える」
まずは、最初の工程だ。これは、新幹線でいえば乗り込む前の状態。ダッシュで改札をくぐり抜け、まわりを見ずに汗だくで乗り込んでも味わいが無い。日本酒も同じ。備えがていねいであればあるほど味わい深い日本酒が出来上がるのだ。玄米の外側にはさまざまな雑味の要素が含まれているため、まずは外側を削って磨き上げる。この時の削る割合が精米歩合である。削り上げる作業は米の形が崩れないように、その楕円の形状を保ちながらていねいに慎重に。そして、洗う。削られた部分やもともと付いていたゴミをきれいに洗ってから水に浸す。ご飯を炊く前に米を研いで、適量の水分を含ませる工程と一緒である。ひとり暮らしを始めたての頃は、米を研ぐ作業がとてつもなくめんどくさくて料理をやめた原因となった記憶があるが、実家で食べるご飯への感謝が増えたのも、その大変さを知ったおかげだった気がする。この場をかりて、毎日米を研ぎ続けてくれた母へ、感謝を伝えておきたい。一定時間水に浸したら、蒸す。ここは、実家のご飯とは異なる。炊くのではなく蒸すのである。炊くと水分量が多すぎて、日本酒づくりに欠かせない黄麹菌が逆に繁殖しづらくなってしまうからだ。
「変わる」
さぁ、魔法の時間だ。新幹線に乗り込むと、そこは異世界である。いつもと異なる座り心地のシート。いつもと異なる食事。見覚えのない景色へと変わりゆく車窓の外。いままで日常だと感じていたものが、急激に置き去りにされていくこの時間こそ、新幹線のメインイベント。日本酒にとってもメインイベントである。まずはカビの一種である麹菌を蒸米に繁殖させる。麹菌は米のデンプンを分解して糖にするだけでなく、漫画『キン肉マン』に登場する正義超人ウォーズマンのように、活動が活発になると熱を発する。かきまぜて冷ます必要があるため、これがまたきつい。汗だくでかき混ぜる体育会系な伝統的製造法の酒蔵も多いが、機械で自動コントロールするIT系の蔵も多くなってきている。そのうち「ヘイ!Siri!黄麹菌の出す熱を冷ましておけるかい!カモン!」と同じく正義超人のテリーマンのようなフランクな話し方で指示する日も近いだろう。次に酒母づくり。「しゅぼ」とも「もと」ともいうのだが、これは先ほどの麹に米と水をさらに加えて酵母を培養したもの。この麹と酒母に、さらに米と水を追加してタンクで仕込むことで、タンクの中では黄麹菌により糖化が進み、酵母により糖がアルコールへ変化する発酵が行われる。糖化と発酵が同時に進むことで、いよいよ米と水が酒に「変わる」のだ。
新幹線と言えば超人テリーマン
「整える」
さて、いよいよ米と水が酒に変わった状態なのはよいが、これは酒であって日本酒ではない。完成品として銘柄を名乗り、世の中へ出荷されるまでにはもうひと手間、整える作業が必要なのである。新幹線に乗っている楽しいひと時も無限ではないのだ。文字通り夢見心地で乗り続けると、目的駅を乗り過ごしてしまう。僕なんかはうたた寝をしてしまい、目的地の仙台駅で慌てて降りたのはいいが、荷物だけそのまま秋田まで乗っていたことなんて経験もある。発酵もいつかは終えなければならない。ここぞという段階で、タンクの中身を搾り、火入れをして発酵を止め、状態を安定させる。瓶詰めしてラベルを貼れば完成だ。
どうだろうか。基本的なつくり方は概ねこのような感じである。もちろん例外的なつくり方も多いが、今回はざっくりとした、基本工程の概要把握を目的とするため割愛させていただく。マニアックな楽しさはいずれ順を追って追求しよう。ざっくりとした流れを把握することで、マニアックな知識も楽しさを増すはずなのだから。100系は時代を変えたよねと語る車両マニアも、あの歩道橋はいいよねと語る写真マニアも、あの駅でしか買えない弁当の味付けはよいと語る駅弁マニアも、基本は「新幹線ってなんかカッコいい」という乗車体験全体の魅力に惹かれたことが、スタート地点だったはずである。
また『キン肉マン』の話に戻るが、超人テリーマンが、線路に迷い込んだ子犬を助けるために新幹線を止める、という名シーンがある。あのシーンが数十年経った現在においても鮮烈に記憶に残っているのは、もともと多くの読者の心にある、新幹線は凄いという印象を活かした心理効果もあったのではないだろうか。未だ連載の続く伝説的な漫画だが、いつか新幹線を止めるのではなく、発酵のタイミングを的確に止められる超人が現れ、テリーマン以上に人気が出ることを切に願う。
関係ないだろうがそういえば、テリーマンの額には「米(こめ)」マークがあったなぁ。