実は日本生まれの冷やし中華。その誕生秘話に迫る
夏の風物詩、冷やし中華。その発祥の地と言われる店の“元祖”と、盛り付けや具材の組み合わせが一風変わった“進化系”、それぞれを食べ比べてみよう。
錦糸卵やキュウリなど千切りにした具とともに、さっぱりとした醤油ベースの甘酢ダレや濃い胡麻ダレで食す冷やし中華。堂々と“中華”と名乗ってはいるものの、中華圏では冷たい麺はほとんど食べないという。実は日本発祥の麺料理なのだ。では、冷やし中華はどのようにして誕生したのだろうか?
その秘密を知るのが、神田神保町にある「揚子江菜館(ようすこうさいかん)」。1906年創業の、神田に現存する中華料理店としては最も長い歴史をもつ店である。
「上海出身の初代が西神田で店を始めて、当時70軒ほどあった神田界隈の中華料理店を束ねる神田中華組合を立ち上げたと聞いています。その後、昭和初期に現在の神保町すずらん通りへ店を移し、日本生まれ日本育ちの2代目が冷やし中華を生み出しました」と、4代目店主の沈松偉(ちんしょうい)さんは語る。
研究熱心な2代目は、近所の蕎麦店に通ううちに、自分の店でもざる蕎麦のような冷たい麺料理がつくれないものかと考えたという。
「試行錯誤を重ね、完成まで2年かかったそうです。最初に苦労したのは盛り付け。当時は神保町からも見えていた富士山に見立てようと、麺を高めに盛り付けました。さらに、キュウリで夏の新緑、煮込んだタケノコで秋の落ち葉、糸寒天で冬の雪、チャーシューで春の大地を表現することを思いついたのです。さらに、富士山の頂上にかかる雲をイメージして錦糸卵をのせ、全部で5色の具が決まりました」