祐天寺に移り15年。中目黒時代の人気は衰えることなく、隣の店が閉じると吸収、さらにその隣へと店の拡張を続けてきた。
いまでこそ洗練された中目黒だが、その頃の駅前には長屋がぎっしりと立ち並んでいた。店を手伝う小杉さんが客として相手にしていたのは、おもに職人や町工場に勤める人々。飲み物のオーダーは、ほとんどが焼酎だった。
「当時は焼酎に甘いシロップを入れて飲んでいた。でも、兄は研究好きでね。炭酸水を入れたり、ジンジャエールで割ってみたり、いろいろ試しては客に薦めていた。炭酸水を入れたものは“チュータン”なんて呼んでたかな。そこにレモン汁を搾るのが美味いと評判になってね。他の客も始めたんですよ」
店の看板メニューには、粋で呼びやすい名前がほしい。そこで焼酎の炭酸水割りをサワーと命名。レモンサワーが誕生した瞬間だ。でも、サワーの響きはどこから来たのだろう。
「どこからかなぁ。兄はカクテルも勉強してたから、その影響じゃないかな。よく『爽やかのサワ』と言われるけど、後づけのダジャレだと思うね(笑)」
ばんのレモンサワー人気は、思わぬ方面へも派生していく。店で使っていた炭酸水は博水社の瓶入り商品。すごい勢いで炭酸水を消費する店がある、という話は製造元の耳にも入る。
「気になっていたんでしょうね。当時の博水社の社長さんは下戸だったんだけど、よく店に来ていたらしい」
「みんなレモンサワーを楽しそうに飲んでる。その様子を見ているのがなによりも好き」と小杉さん。
ヒット商品の裏側には、消費者の嗜好を的確に見抜く目が欠かせない。ばんのレモンサワーから刺激を受け、オリジナルの割材を開発。生まれたのが、あの「ハイサワー」である。
中目黒駅周辺の再開発のため、2004年に中目黒の店を閉じた。いまは隣の祐天寺でその歴史を受け継ぐ。レモンサワーがブームとなり、他の店が独自のつくり方を競うなか、ばんのスタイルは昔と変わらない。ここで「サワー」といえばレモンサワーのこと。客が自分でレモンを搾り、焼酎が好みの濃さになるよう炭酸水を注ぐ。
「おいしいつくり方を教えようか」と小杉さんが言う。レモンは搾り器に乗せて出しているけれど、実は搾り器は使わなくてもいいらしい。
「レモンはグラスの上でギュッと搾る。さらに皮をねじるようにグリグリとつぶす。香り成分は皮にあるからね」
炭酸水を注ぐと、なるほど鮮烈なレモンの風味がグラスから立ち上る。味のランクが格段に上がった感じだ。
「うちのは古いやり方だけど、自分好みの味にできるし、つくる楽しみもある。いいとこ結構あるじゃない」と笑う小杉さん。レモンサワーはこれからも進化していくだろう。でも、一度原点に立ち戻り、その可能性に改めてハッとさせられる場所。ばんは、そんな店であり続けるのだ。