ポップス界の巨人がこよなく愛した、英国紳士に必須のカバートコート【加藤和彦編】
文:小暮昌弘(LOST & FOUND) 写真:宇田川 淳 スタイリング:井藤成一加藤和彦──1965年、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成し、67年に自主制作でレコーディングした『帰って来たヨッパライ』がミリオンセラーを記録するビッグヒットに。72年にはリーダーとして「サディスティック・ミカ・バンド」を結成し、日本のバンドとしては初の全英ツアーを行った。その後はソロアーティストとして数々のアルバムを発表するだけでなく、作曲家としても活躍。吉田拓郎、泉谷しげるなどの楽曲やアルバムのプロデューサーを務め、『パッチギ!』(2005年)では映画音楽まで手がけた才人である。まさに日本のポップス界の巨人ともいうべき存在だったが、加藤は音楽だけでなく衣・食・住、ライフスタイルすべてにこだわりを持っていた人物でもあった。それぞれに高い見識を持ち、独自の流儀を貫き、なおかつすべてが格好よかった。まさに日本では希有なマルチアーティスト。今回はそんな加藤和彦がこだわったファッションアイテムについて語る。
1973年、リリースされたばかりの「サディスティック・ミカ・バンド」のファーストアルバムを持って、ロンドンに出かけた加藤和彦。その時にスローン・スクエアで見かけたロールスロイスが忘れられず、作家・景山民夫を伴って再びロンドンに出かけ、1万2000ポンドで購入する。1ドル=360円の固定相場、1ポンドが800円もした時代である。加藤はまだ26歳、運転免許も持っていなかった。
そんな有名なエピソードもあるくらい、若い時から英国へ行き、本場のカルチャーやファッションを堪能してきた加藤が、ロンドンでビスポーク、いわゆるオーダーメイドの服を仕立てることを楽しむようになったのは、90年代に入ってからのことと言われている。スーツはサヴィルロウ近くにあるテーラー、ファーラン&ハーヴィーや、ギーブス&ホークス出身のテーラーであるストワーズなどで仕立てていたらしい。スーツの上に英国製のコートやアウターを着ていたことは容易に想像できるが、加藤が書いたエッセイ本『エレガンスの流儀』(河出書房新社)によれば、自身がこよなく愛用していたのがカバートコート(加藤はカヴァート・コートと書く)だという。彼も書いている通り、カバートコートは日本ではまだまだポピュラーではないが、英国紳士たちの間では必須のコートだ。
このコートは「カバート・クロス」と呼ばれる霜降り、ないしは杢糸づかいの梳毛ギャバジンでつくられた、背広襟・比翼仕立てのコート。袖にはレイルロードと呼ばれる4本のステッチが入っているのが特徴。「スポーティな感じを漂わせているにもかかわらず、紺のチョーク・ストライプのスーツなどに合わせると、エレガントになる。やや外して、タキシードなどに合わせても洒落ている」と加藤は書いている。
英国に行けば定番的なこのコート、日本で手に入れるのは容易ではない。だが、日本を代表するビスポークテーラー、バタクでは本格的なカバートコートが用意されている。素材は世界的にも知られる「ハリソンズ オブ エジンバラ」「フォックス ブラザーズ」「ジョシアエリス」などのカバートクロス。ベルベットを使った上襟、比翼仕立てのフロント、チェンジポケットまで付いたクラシックなポケットなど、完璧なまでのカバートコートをオーダーで仕立てることができるのだ。
同書では「スーツはまだビスポークで誂えた事がなくても、このカヴァート・コートだけは誂えたほうがよろしい。これ一着で一冬過ごせてしまうのだから」と加藤は記す。加藤のようなエレガンスなスタイルを極めようとするならば、ビスポークでカバートコートを仕立ててみることも一案だろう。
問い合わせ先/バタク TEL:03-5510-6902
http://batak.jp