NY土産で手に入れた、「ブルックス ブラザーズ」のローファー。
雑誌で読んだのか、はたまた先輩から教わったのかは失念しましたが、アメリカで馬の革でできた靴があると知ったのは、いまから40年近く前のことです。当時の私には、馬革の靴なんて想像できません。たてがみが生えているような革? 競走馬のように輝く色? ほどなくして、その靴がトラッドの総本山「ブルックス ブラザーズ」で売られていることを知りました。しかし、まだブルックス ブラザーズが日本上陸を果たす前。手に入れる術はありません。そんな時、6歳上の姉がアメリカへ出張に出かけることを耳にしました。前年の欧州出張の折には、日本では販売されていなかった「アディダス ランナー」を頼みました。カラーコピーもない時代でしたから、紙に手描きで、黄色に青の3本線のスニーカーの絵を描いて手渡しましたが、姉は行く先々の店でそのつたない絵を見せ、ようやくドイツで見つけて持ち帰ってきてくれました。「あなたの頼みはいつも大変なんだから」と嫌がる姉に、マディソン街346番地、ブルックス ブラザーズのNY本店の住所を伝え、「馬革のローファーだからね」と念を押し、頼み込んだのです。
馬革の素材、独特のフォルム。只者ではないオーラが。
帰国後、姉の重たいトランクから出てきたのが、初めて見る馬革のローファーでした。その頃愛用していたアメリカ製のローファーとは明らかに違います。まず、素材。バーガンディーの馬革は光り方が鈍く、色にも深さが感じられました。オイルがたっぷり染み込み、革そのものがしっとりしているのです。中央のサドル部からつま先にかけてシェイプしたカタチも個性的。太い糸を使ったステッチは、手仕事の味わいが確実に宿っています。どこから見ても“只者ではないオーラ”が漂っていました。いうまでもなく、その靴はマサチューセッツ州の有名シューメーカー「オールデン」に製作を依頼したものです。しかし私は、オールデンの名前も、馬革が「コードバン」と呼ばれることも知りませんでした。当時はこの靴と街で出会うこともなく、ちょっと得意げになって履いたものです。
神隠しにあったローファーのせいで、2足目購入を決断。
10年前、そのローファーが神隠しにあったのです。その頃はコードバンの靴でも紐靴のタイプを履くことが多かったのですが、「あのローファー、どこにしまったのだろうか」とクローゼットを探しても、どこにも見当たりません。誰かが捨ててしまった? 蚤の市で間違って売ってしまった? 忽然と消えてしまったのです。そうなると、かえってあのローファーを履きたいという思いは募るもの。日本では青山の本店で見たことはあるなぁと思いながらも、すぐにでも欲しいと、クルマを飛ばして自宅近くにあるブルックス ブラザーズへ。そして老舗らしい佇まいのショップの奥、トラッドなスーツが整然と並んだコーナーで、馬革のローファーを発見したのです。しかもこれがまた私のサイズです。片足を入れた瞬間「シュッ」という音が鳴りました。迷うことなく、買って帰ったことはいうまでもありません。
オールデン製ですが、ブルックス ブラザーズの靴は特別仕様。
同じオールデン製のローファーでも、オールデンネームとブルックス ブラザーズネームでは、仕様の違いがあります。実は後者は、ライニング=裏地のない一枚革でつくられているのです。だから靴の内部を見ると、サイドや甲部裏に革の裏側を見られるのです。ご存じの方も多いでしょうが、オールデンが使うコードバンは、シカゴのタンナー「ホーウィン」でなめされたもので、1頭の馬からわずかしか採れない希少な革です。このときのローファーの内部には、「HORWEEN GENUINE SHELL CORDOVAN」と書かれた刻印を見て取れました。ホーウィンでなめされた原皮を見たこともありますが、一枚の原皮の裏側に入る刻印は一箇所だけです。一足の靴をつくるには幾つかのパーツが必要とされますので、たまたま見える箇所に刻印があるパーツが使われていたのでしょう。ともあれ、2足目のローファーは、「BROOKS BROTHERS」と「HORWEEN」の2つの刻印が入ったものでした。その後、神隠しにあったローファーも何故か発見されましたが、すぐに内部をチェックしたら、このローファーには「HORWEEN」の刻印はどこにもありませんでした。いまでもたまに2足の馬革のローファーを靴箱から出して並べて眺めています。40年近く前に入手したローファーは、馬革の色もさらに深いものになり、履きジワが年輪のようについていますが、まだまだ現役で履けます。一方、10年前に買ったものは数度しか履いていないのでいまでも新品のよう。ヴィンテージワインではありませんが、古いローファーから熟成が足りないと言われそうな気にもなります。いずれにしても、私にとっては、とても大事な2足。今晩あたり、一杯呑みながら、靴磨きでもしましょうか。