大滝さんの仮歌テイクが、ボーカリストの道標になった。 ──鈴木雅之が明かす、大滝詠一の知られざるエピソード
1980年にシャネルズでメジャーデビューを果たした鈴木雅之。共通の知り合いがいたことから、アマチュア時代に既に大滝詠一の知遇を得て、福生の自宅に招かれたり、大滝が手がけるCMソングや第1期ナイアガラ・レーベルのラスト作『レッツ・オンド・アゲン』に収録された「禁煙音頭」「ピンク・レディ」の2曲に歌とコーラスで参加するなど、良好な関係を築いていた。そのつながりもあり、実はシャネルズは大滝プロデュースでデビューする話があった。
「ただ、結局かなわなくて。それでデビューから3年経って、グループの名前をラッツ&スターに変えて新たにアルバムをつくるとなった時、大滝さんにやってもらいたくてお願いすることにしたんだ」
それが、83年リリースのラッツ&スターのファースト・アルバム『ソウル・ヴァケイション』である。大滝からの提供曲は「Tシャツに口紅」「星空のサーカス」の2曲。レコーディングは、いまはなきCBS・ソニー信濃町スタジオで行われた。
「大滝さんは言葉でああしろ、こうしろとは言わないんだよね。だから、大滝さんの仮歌ボーカルテイクをウォークマンで何度も繰り返し聴いて覚えて、自分の歌にしていった。あのテイクが、のちのボーカリスト・鈴木雅之の道標になってくれたと思う」
数ある大滝作品の中で最も好きなのは「夢で逢えたら」だという。
「大滝さんに初めて誘われて福生に向かう高速道路でカーラジオから流れてきたのが、シリア・ポールが歌う『夢で逢えたら』だった。その時に夢じゃなく本当に大滝さんに逢えるんだと思ってハンドルを握ったのを覚えてる。96年、ラッツ&スター再集結の時にカバーしたのが『夢で逢えたら』。2020年、24年ぶりに出場した紅白歌合戦で歌ったのも『夢で逢えたら』だった。感慨深いよね」