あの時戻ってこなければ、『ロンバケ』という作品は生まれなかったのかも。 ──伊藤銀次が明かす、大滝詠一の知られざるエピソード
ギタリストとして、シンガー・ソングライターとして、日本のロック黎明期から現在まで第一線で活動を続けている伊藤銀次。大滝詠一との生涯にわたる師弟関係は自身のバンド「ごまのはえ」のファースト・アルバムのプロデュースをお願いしたことから始まった。
「当時は大阪に居たんですが、全国区でやりたい気持ちがあるなら東京へ来なさいと言われて、バンドごと福生に引っ越したんです。昼はバンドの練習をして、夜になると大滝さんの家に遊びに行って、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、いろいろな話をしましたね」
もちろん、プライベートスタジオにもよく出入りしたという。
「シングル盤がとにかくたくさんあって、日本で見かけないような洋盤もありました。訊いたら、はっぴいえんど時代に出演した晴海ふ頭のライブ会場でバザーがあって、そこで米軍基地かなにかの放出品として、1枚10円とかで売られていたのを手に入れたそうです。大量にあったから本番のステージが始まるまでにすべてチェックできなくて、出番が終わって一度は家に帰ったけれど、どうしても気になってまた晴海に戻って、全部売ってもらったそうです(笑)」
その中には、大滝が欲しかったけれど、なかなか手に入れられなかったオールディーズのシングル盤が数多くあったという。
「当時は『シュワン』というアメリカのレコードカタログがあって、日本に入ってこない洋盤はそれで注文するんですけど、値段が高いんですよ。それが大量に手に入ったから、これを機にオールディーズをちゃんと集めてみようと思ったそうです。もしあの時、晴海に戻ってなかったら、おそらく大滝さんはアメリカン・ポップスの世界に行ってなくて、その後『ロング・バケイション』は生まれなかったかもしれない。そう考えると面白いですよね」