−−大人になって改めて絵本を読み直すと、子どもの頃とはまた違った体験ができますね。
「絵本を読むのに、実は、大人も子どももないの。いまの『絵本=子ども向け』という図式は間違っていると思う。漢字が少なくて、短い話が多いから、誰でも読めるんだけど、『読める』のと『読む』のはまた違う。絵本は絵を読むことだから。だから絵に入り込めるある種の子どももいるというだけなんだよね。
『子ども向け』というけど、本気であのピュアな魂に向き合うには、ちょっと覚悟決めないと無茶だよ。子どもに受けるのは何かと考えるのではなく、翻って一度純粋に自分が何を面白いかと問うしかない。子どもってカテゴリーじゃなくて個人だから。よく公園の話をするんだけど、児童公園というと、お決まりの遊具があるだけで、禁止事項がたくさんあって、つまらないものが多いけれど、本当に良い公園をつくれば誰でも遊べるじゃない」
−−絵本の魅力って何なのでしょう。
「何より本というかたちが魅力的。秘密っぽいでしょ。他人にのぞかれると嫌だし、個人のものというのが良いよね。個人の感じたこと、考えたことを書き、それに反応する人がいる。何かありそうだなと思って手に取る。何かあると、本棚に取っておく。それを繰り返し読む。量よりも回数を読む方だね。絵本じゃないけれど、いままた『ハックルベリーフィンの冒険』を読み返している。時間が経つとまた感じることが違って面白い。本や絵や音楽は、その時々の自分を映し出す鏡みたいなものだから」
−−『絵本図録』の作品解説を読むと、実に多様な手法で絵本をつくられていることに驚くのですが、アイデアはどのように思いつくのでしょうか。
「千差万別なんだけど、タイトルのようなものがあって、一つ二つ、絵が見えたら、書き始めることもあるし、モチーフみたいなものが思い浮かぶこともある。アイデアが出たらこっちのもの。何とでもなるから。何か面白いと思うことがあると、絵本に落とし込めるか考える。『思いついた』ということを大事にしているんでしょうね。過去にあって、忘れているものが、『思いつき』に結晶化するんじゃないかな。それを受け取る人はなつかしいと感じるんでしょう。この年になっても、何か忘れているという思いがいつもあって、そういう不安定な感じが好きで、やや求めている傾向があるかもしれない」
−−なぜ絵が主体の絵本を描き始めたのでしょうか。
「格好良く言うと、言葉をあまり信用していない。たとえば、『憂鬱』って言ってもそれだけでいまの気分を表現しきれないなあとか、『今日っていつから始まるの?』とか子どもの頃から疑問に思うタイプだった。高校の終わりぐらいに、文章書きになろうかと意識したこともあったけれど、どこかで言葉に頼り切れない思いがあった。次に、デザインや造形という方向に移行して、桑沢デザイン学校に行った。自分が何に一番本気になれるのか探っていたんでしょうね。それで20代の後半に、自分のやりたいことを形にしたら、絵本だった。言葉ではなく、絵で語っていくという方法にたどり着いた。それを出版社に持ち込んだら、出版が決まって。だから、絵本作家になりたいと思ったことはないんだ」
−−『絵本図録』に掲載された作品の後、既に8冊もの絵本を制作しているそうですが、毎日の過ごし方について教えてください。
「夜起きているのが好きだね。明け方の4時半に寝て、昼の12時に起きる。午後はテニスをしたり、夜はチェロの練習をしたり、絵本の作業をしたり……。思いついたらすぐ描けるぐらいにはしておきたい。出版って事件でしょ。企画会議やマーケティングからは生まれない。だから、いつでもつくる気分をキープする努力はしているよ」
『絵本図録』に収録された絵と言葉によるエッセイ「絵本の人は」の中に、「絵本の人は農業します」というくだりがあるのですが、養分をたっぷり蓄えた土から実がなるように、五味さんは絵本をつくっているのだと思います。耕す姿は見せないけれど、そんな上質な土に少し触れたような気がしたインタビューの時間でした。
『絵本図録』には、豊穣な五味ワールドをより深く楽しむ手掛かりがたくさん詰まっています。ぜひお手に取ってみて“絵”を読んでみてください。(写真:永井泰史 文:佐藤千紗)