スウェーデン出身のフォトグラファーであるゲリー・ヨハンソン(1945年生まれ)は、10代の頃に写真に興味をもち始め、1960年代初頭にはニューヨークへ渡ります。のちにグラフィックデザインを学び、15年ほどはグラフィックデザイナーとして活動しました。1980年半ばにはフリーランスのフォトグラファーに転向、現在はスウェーデン南部を拠点に世界的な活動を展開しています。
このヨハンソンが、1962年から2016年の間に、スウェーデン、モンゴル、アメリカ、日本、スペイン、ドイツといった世界各地で撮影したシリーズをまとめた最新刊『TYRE CHOICE』は、どうやらタイヤのある情景を撮り続けるというスタンダードな表現というわけではないようです。
本書の冒頭には、以下のようなテキストが収録されています。(日本語文はtwelvebooksウェブサイト<https://twelve-books.com/>より引用)
Tyre Choice [taɪə tʃɔɪs]
タイヤ選択。自動車競技において主に使われる用語。状況に応じた正しいタイヤ選択を素早く行うことは勝利に必要不可欠である。勝者となるか、周回遅れの敗者となるかの明暗を分けうる。
Choosing Tyres [chü-ziŋ tʃɔɪs]
「正しい」タイヤを選ぶこと。タイヤの正しさの意味合いは目的によって異なる。例えば、アメリカ人アーティストのロバート・ラウシェンバーグは、古タイヤをベルトとして身につけた剥製のアンゴラ山羊が絵画の上に立っている自身のインスタレーション作品「Monogram」(1955-59)において、そのフィット感を高めるために高扁平のクロスプライ・タイヤを選んでいる。
Getting Tyred [gä-tən tajɚd]
誰かの手によって丁度良いタイヤを手に入れること。ちなみに、アメリカ英語の場合タイヤの綴りは「tire」となるが、そうすると意味がまた変わってくるので気をつけること。
このテキストを読んだうえで作品を見ていくと、タイヤのある情景が意味深に見えてくるから不思議です。
そもそもヨハンソンは、18年もの歳月をかけて世界各地を旅し、その国ごとに編纂していくシリーズを展開してきました。地域ごとに異なる特性を肌で感じるなかで、そのいち情景として映し出されていた、それぞれの国にあるタイヤたち。それは意図して視線を向けていたのでしょうか? それとも撮りためた一連の作品を改めて見返した際に目に留まったものなのでしょうか?
『Tyre Choice』というタイトルは、被写体として十分に耐えうるタイヤのある情景を選び抜く行為そのものを指しているようにも思えます。あるいは、自動車競技の選手にとって生命線となるタイヤと、写真家にとっての生命線である何物かとを重ね合わせているのかもしれません。いずれにせよ、本シリーズの制作においては、自動車競技の選手のように、ヨハンソン自身もタイヤを吟味して選んでいるのでしょう。鶏が先か、卵が先かはわからないけれど、少なくともわたしにとっては、タイヤという物体が一種のメタファーのように思えてなりません。
イメージの集積の裏側には強度のあるコンセプトが後ろ盾となります。コンセプトは実体こそないものですが、その一部を言語化することによって、的確に相手に伝達するために有効に機能してくれることがあります。視覚伝達のプロフェッショナルであるグラフィックデザインの世界に身を置いた経験をもとに、端的な視覚表現を適える写真の領域で活動を続けてきたヨハンソンにしかできない、丹念な積み重ねの賜物です。普段なにげなく目にしているものも、別の視点から考察していくと、解釈も捉え方も七変化することを教えてくれます。