東西ドイツのデザイン史を振り返る、ヴィトラ・デザイン・ミュージアムの展覧会
"ドイツのデザイン"と言われてまず思いつくのは、バウハウスではないだろうか。バウハウス閉校後、第二次世界大戦を経てドイツは東西に分断された。暮らしの中にあったデザインはそれぞれ、どのような発展を続けていったのだろうか?
東西ドイツ40年のデザイン史を振り返る展覧会「ドイツのデザイン 1949〜1989年 2つの国、1つの歴史」が、ヴィトラ ・デザイン・ミュージアムで開催中だ。
国が2つに分かれたとき、国のアイデンティティを表す紋章や通貨、身分証明書のデザインも2つに分かれ、プロダクトがもつ意味合いもそれぞれ変化した。たとえば西側では車は消費欲を煽るステイタスシンボルだが、東側では幅広い層に手ごろな価格で提供することに重点が置かれるというように。しかし、同時代の東西のデザインを比べて見えてきたのは、意外な共通点の多さだった。
ベルリンの壁が作られた1961年から東西の行き来は難しくなったが、世界的な流行や新素材の登場は、同じようにどちらの国にも影響を与えた。バウハウスのデザイン哲学も同様で、東ドイツでは無駄のない機能的なデザインが安価な大量生産を可能にし、プレハブ建築から食堂の食器にまで反映されていった。西ドイツではディーター ・ラムスに代表されるような、モダンで洗練されたライフスタイルに結びついた。
東ドイツのデザインは、カラフルなプラスチック製品のイメージが強い。しかし、長らく東ドイツのデザインを代表する存在のように言われてきた赤い卵形のプラスチック製ガーデンソファーは、実は西ドイツのデザイナーの手によるもの。東ドイツで製造されたために、東ドイツから生まれたものだと思われていたのだ。2つの国の根底にながれる1つのデザイン史が、このプロダクトに垣間見える。