悩んでいることが格好いい、そう思わせてくれた人です──実力派シンガーソングライター奇妙礼太郎が語る、尾崎豊の才能
来年2022年は尾崎豊没後30周年の節目を迎える。混迷を極める時代の中で、いまも世代、性別、国境を超えて愛され、歌い継がれている尾崎の音楽。ここでは現在のJ-POPシーンを牽引する20代、30代、40代の実力派シンガーソングライターにスポットを当て、その魅力を掘り下げる。
続いて、数々の歌謡の名曲をカバーし、ライブでも尾崎豊のカバーをたびたび歌ってきた奇妙礼太郎。そんな奇妙が語る孤高のシンガーの凄みとは?
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これまで「奇妙礼太郎トラベルスイング楽団」名義のアルバム『東京ブギウギ』や弾き語りのライブなどで尾崎豊のカバーをたびたび歌ってきた奇妙礼太郎。なかでも「ダンスホール」が特に好きだと言う。
「あの曲を歌っている間、歌い手は自分でなくなるんです。曲に映画や演劇のような要素があるというか、誰かが喋っていることを代わりに歌っているような歌詞なんです。冒頭は男性として、途中からは女性として歌っている。そうした変化を感じながら歌うのも好きです。悲しい感じの曲なので、あえて笑いながら歌うようにしています。 悲しい歌を悲しい感じで歌うのは、僕がやると、聴く側もちょっとしんどくなる気がします。実は純粋に歌っていて楽しい曲なんですよね」
「ダンスホール」は、尾崎が16歳の時に受けた CBS・ソニーオーディションで最初に歌った一曲。奇妙は当時のパフォーマンスに大きな衝撃を受けた。「僕はオーディションの時の尾崎さんの映像がむっちゃ好きなんです。録音された音源よりもそっちのほうが断然好き。あのパフォーマンスはすごい。10代でソニーのオーディションを受けるという時に、あんなに力を抜いて歌える人はそうはいません。普通はもっと頑張るというか、いかに自分に才能があるかを証明したがるものです。きっと、とんでもない自信があったのかなって思います。いま観ても、そういうところがホンマに素敵です」
歌詞のメッセージ性について語られることが多い尾崎。だが、ライブでのパフォーマンスがなによりも魅力的だ、と奇妙は語る。
「岡村靖幸さんと一緒に出ているライブの映像もすごく好きです。初めて観た時は本当にびっくりしました」
いまとなっては残された映像でしか観ることはできないが、生々しい躍動感と繊細さを同時に感じさせるステージには、確かにライブアーティストとしての強い説得力が感じられる。
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カセットテープを回して、 気付けばみんな聴いていた
1976年生まれの奇妙は、大阪で育ち、少年時代から浜田省吾、長渕剛、チャゲ&飛鳥などを聴いてきた。尾崎との出会いは中学生の頃だった。
「気が付いたらみんな聴いているという感じでした。仲のいい同級生が聴いていて、カセットテープが回ってきて、いつの間にか自分も聴いているという。中学の入学祝いでCD ラジカセを買ってもらって、音楽を聴くこと自体が楽しかったのも大きいです」
思春期の奇妙は、尾崎をどんな風に見ていたのだろうか。
「当時を振り返って思えば、自分がいたのが田舎だったのもあって、実際の自分の学生生活よりも、尾崎さんの歌 詞に出てくる生活のほうが、断然格好よかった。だから好きだったんですよ。 歌詞には『校舎』という言葉も出てくるし、設定が自分とかけ離れているわけではないんです。聴いていると、自然に曲の世界観に浸れます。オートバ イを盗んだこともないし、青春に悩んでいたわけではないけど、そうやって 葛藤する姿を格好いいと思うところも あった。みんな憧れていましたね」
尾崎の言葉についてはどうだろうか。「歌詞をつくる時には、大きな影響を受けています」と語る奇妙。彼が歌う「反抗」のモチーフを、こんな風に受け止めていた。「怒りがあるんやなっていうのは思います。奪われることに『NO』と言っている感じがします」
尾崎がデビューした80年代といまとで、時代のムードが価値観の変化を感じることは多いという。
「歌の中に出てくる反抗心や不良性って、いまから見たら理解される部分もあると思います。歌にある不良的な描写って、いまの僕からすれば、決して悪くない。学校を途中で抜け出すと か、自分を守るためなら状況によっては『全然いいやん』って思います」
その背景には、世の中における「大 人」の振る舞い方、かつては抑圧的で支配的だった学校という空間の在り方が変わってきたことがある。
「大人との関係もいまと違いますよね。当時はもっと高圧的で、髪の毛を伸ばしてただけで怒られるみたいなことがあった。子どもは選択肢の存在を 知らないし、その場所がすべてだから、しんどいですね。きっと、兵隊をつく るシステムをみんなが普通に受け入れていた時代なんだと思います」
10代の代弁者として体制への反抗や不安定な心情を吐露した尾崎。当時から、多くの中高生の心をつかみ、奇妙少年の心にもそのメッセージは突き刺さった。尾崎の歌の衝撃は薄まることなく脳裏に焼き付き、次世代へと継承されている。
※Pen2019年5/1・15号「尾崎豊、アイラブユー」特集よりPen編集部が再編集した記事です。