『性食考』
赤坂憲雄 著
民話や児童書から浮かび上がる、性と食、生と死、そして愛。
今泉愛子 ライターもし好きな男性から「食べちゃいたいほどかわいい」と言われたら、その女性は嬉しく感じるだろうか。たとえそれが無邪気に発した言葉であっても、ゾクゾクするような、あるいはゾッとするような、不思議な感覚を体内に宿すのではないか。
民俗学や日本文化論を研究する著者は、「食べること/愛することや交わることはきっと、ひそかに、かたく繋がれているのである」と説く。グリム童話のひとつで、困っている姫を助けようと申し出たカエルが提示した条件は、姫がともに食事をすること。そして寝所をともにすることだった。
モーリス・センダック著の人気絵本『かいじゅうたちのいるところ』には、怪獣たちと遊んでいた主人公のマックスが帰ろうとすると、「おねがい、いかないで。おれたちは たべちゃいたいほど おまえがすきなんだ」と怪獣たちが懇願するシーンがある。この「食べる」は「殺す」ことを意味するだろう。宮沢賢治『注文の多い料理店』では、食べる側から食べられる側への転換が鮮やかに描かれている。
本書は、性と食を巡り『古事記』や世界に伝わる神話、民話、児童書などをもとに、豊かな論考を繰り広げる。なかでも人間と動物との可食性は、男女の性的な可触性に通じるという指摘は興味深い。人間はペットを食べようとは思わないが、これは近親相姦のタブーと近いというのだ。そもそも肉食とは殺戮を意味する。そこから議論は、食べることと女性性との関連を模索する。女は、夫である男に性を提供することと引き換えに食を得、やがて生命を宿してきた。そこからさらに生贄についての論考につながっていく。
食べることと交わること、殺すことには、支配・被支配の権力構造がむき出しになっている。「食べちゃいたいほどかわいい」という言葉には、ほの暗さがつきまとうのだ。
『性食考』
赤坂憲雄 著
岩波書店
¥2,916