Creator’s file
心をなぞるようにして、新しい室内楽に挑む。
幼い頃から大きな目標を掲げて一途に研鑽を積んできた人が、ふと自分が選んだ道に疑問を抱くというのは、珍しい話ではない。3歳の時からピアノを弾き、音楽家を志してきた中野公揮の場合、心が揺れたのは高校時代。
「僕はピアニストを目指していたんですが、映画や美術など芸術全般に興味をもち始めたのをきっかけに、他人が書いた曲をただ再現することに満足できなくなった。なにかを創作したいと思うようになって、ピアノをいったんやめてしまったんです。もともと譜面通りに弾くのが苦手でしたしね(笑)」
そう語る彼が、悩んだ挙句に選んだのが作曲だ。東京藝術大学作曲科に進んだが、ほとんど通わずに曲を書いてはライブで独自の表現を探した。「幅広く見て、聴いて、いろんなジャンルや時代から心に触れる要素を拾って、自分のパレットにのせていきました」
従って、古今東西の音楽様式を引用した中野の作品は純然たるクラシックではない。彼が考える、新しい室内楽の形を示すものだという。
「僕にとっての音楽は、非常に個人的なもの。無限にある心のひだを全部なぞるようなことこそ、創作だと思っていて、それが許されるのが室内楽なんです。音楽が中心にあり、その一点に意識を集中させて、閉ざされた形式で見せられる宇宙――みたいな。そこにはまだ、実験の余地があると思います」
そんな高い理想を追求することが生業として成立するのかと、最初は不安もあった。でも下積み時代から「自分を面白がってくれる人が周囲にいた」という彼は、フランスによき理解者を見出す。さまざまなジャンルの気鋭アーティストを紹介するレーベル、「ノー・フォーマ!」が演奏を耳にして、契約を申し出たのである。
これを機にパリに移り住み、アルバム『リフト』を発表。やはりジャンルレスな志向のチェロ奏者ヴァンサン・セガールと共演した、ピアノとチェロによる楽曲集だ。そこには、バロック音楽から昨今のエレクトロニックまで多様な音楽が消化されていたが、次に取り組んでいるピアノソロ作品集も、一筋縄ではいかない内容だという。
他にも、いまいちばんやってみたいことと位置づけるダンスのための音楽など、多数のアイデアを温めながら「曲の種をたくさん蒔いて、水をやって、育てている」と話す彼。それらが育った暁には、我々のもとにどんな花を届けてくれるのだろう。
去る5月に東京と京都でサロン形式の公演を行い、ヴァンサン・セガールと『リフト』の曲を披露。アート・ディレクションは彫刻家の名和晃平が手がけた。photo:Katsutoshi Nemoto