コンセプチュアルアートの先駆者、オノ・ヨーコ。彼女のこんな素顔をご存じ...

コンセプチュアルアートの先駆者、オノ・ヨーコ。彼女のこんな素顔をご存じですか?

オノ・ヨーコ《FROM MY WINDOW: Salem 1692》2002年、顔料/カンヴァス、個人蔵 ©YOKO ONO 2015

現在、東京都現代美術館で開催されている「YOKO ONO:FROM MY WINDOW」展は、これまでニューヨークを中心に語られてきた、コンセプチュアル・アートの先駆者であるオノ・ヨーコの活動を、「東京」という都市の文脈で再考する展覧会です。

オノ・ヨーコは1933年東京生まれ。幼少期に二度、父の赴任に伴い太平洋を渡り、開戦前の帰国から1952年に渡米するまでの十年を東京で過ごしました。この展覧会は、彼女の1960年代の代表的なイヴェントである『カット・ピース』の映像をはじめ、多くの作品が展示されていて、オノ・ヨーコの感受性の在り様を探るきわめて有意義な展覧会です。

また、そこには予想外なものも展示されていて、東京というローカリティと、同時に「アート」のグローバルな拡がりを感じさせます。会場構成の第3章に、赤瀬川原平、高松次郎、中西夏之ら3人で結成された60年代の日本のアヴァンギャルドなアーティスト・グル-プ「ハイレッド・センター」が登場。彼らが1964年に帝国ホテルで行った「シェルター計画」に参加した時の、オノ・ヨーコの貴重な映像が展示されているのです。

たしかに赤瀬川原平の著書『東京ミキサー計画』には、当時のオノ・ヨーコについて語った記述があります。

「これはいま、アメリカにいる小野洋子氏です。そのころからモナリザのような髪の毛をして、迫力満点でした。この写真の前後二、三年ほど日本に滞在していたのです。ハプニングスの先駆者であり、ハイレッド・センターともよく交流がありました。凄くマージャンの強い人なのですが、・・・」(『東京ミキサー計画 ハイレッド・センター直接行動の記録』より)

これらは、当時の前衛的なアーティスト同士の横のつながりが垣間見えるユニークなエピソードだと思います。オノ・ヨーコはさまざまなイヴェントをとおして、東京の音楽家や美術家などと交流し、彼らとアメリカのアーティストたちを繫ぐ役割をも担ったのです。初公開となる作品も多く展示されているこの「FROM MY WINDOW」展は、オノ・ヨーコのもうひとつの横顔を感じさせる注目の展覧会です。(赤坂英人)

オノ・ヨーコ《見えない花》より「ある朝早く」1952年、インク・パステル/紙、個人蔵 ©YOKO ONO 2015

オノ・ヨーコ《チェア・ピース》1962年、「ジョン・ケージとデヴィッド・チュードアのイヴェント」(京都会館、 1962年10月12日)で行う 写真:吉岡康弘、個人蔵、Courtesy of Lenono Photo Archive ©YOKO ONO 2015

オノ・ヨーコ《クラウド・ピース》1963年/2005年《北海道のためのスカイTV》十勝千年の森の恒久展示の一部 ©YOKO ONO 2015
クラウド・ピースのインストラクション「雲が滴り落ちることを想像する。その雲を入れる穴を自分の家の庭に掘る。」1963年春

オノ・ヨーコ《穴》2009 年、弾の貫通した板ガラス、刻印されたテキスト「ガラスの反対側に廻り、穴から覗く」、金属の枠(部分)、個人蔵 ©YOKO ONO 2015

オノ・ヨーコ 私の窓から YOKO ONO: FROM MY WINDOW
開催期間:2015年11月8日(日)~2016年2月14日(日)
会場:東京都現代美術館
東京都江東区三好4-1-1
TEL:03-5245-4111(代表) 03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10時~18時(入場は17時30分まで)
休館日:月曜日(11月23日、2016年1月11日は開館)、11月24日、12月28日~2016年1月1日、1月12日
観覧料:¥1,200(一般)

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