日本初となる『メスキータ』展、若きエッシャーに影響を与えた悲運の画家を...

日本初となる『メスキータ』展、若きエッシャーに影響を与えた悲運の画家を知っているか?

文:はろるど

『ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像』1922年 個人蔵 メスキータの息子の肖像画。丸眼鏡の奥から覗かせる鋭い視線に圧倒されます。photo: J&M Zweerts

1868年、アムステルダムでユダヤ人の家庭に生まれたサミュエル・イェスルン・デ・メスキータ。美術学校の教師として若きエッシャーに影響を与え、オランダのグラフィック・アート協会の会長を務めるなど、版画やデザインの分野で活躍しました。しかし、必ずしもよく知られた存在とは言えません。

東京ステーションギャラリーで開催中の『メスキータ』展は、40年にわたってメスキータの作品を蒐集したドイツ人夫妻の個人コレクションで構成。作品数も240点と膨大で、ひとりの画家の人生に触れられる貴重な機会となっています。

メスキータが版画を始めたのは20代後半。動物や植物、身近な人物を、強いコントラストを伴うモノクロームで表現しました。一見、平面的に単純化されているようですが、細かな線も多く加えられ、同時代のアール・デコを思わせる装飾性も見て取れます。また、ステートごとにモチーフを変化させるなど、実験的な技法を用いているのも特徴です。何度も鋭く刻み込む線からは、職人が自らの技を高めていくような、表現への貪欲な探究心が感じられます。

40代にして初めて個展を開き、65歳で国立視覚芸術アカデミーの教授となったメスキータでしたが、戦争によって人生を大きく狂わされてしまいました。1940年、ナチス・ドイツがオランダを占領すると、当時、14万人居たユダヤ人を弾圧。メスキータも自由な活動ができなくなります。そして1944年に強制収容所へ連行されると、妻とともにアウシュヴィッツで無残にも殺害されてしまうのです。75歳のことでした。

アトリエに残された作品は、エッシャーら教え子や友人が命がけで持ち帰り、秘密裏に保管します。そして戦後、アムステルダム市立美術館で展覧会を開催し、再評価と復権に尽力しました。

生命こそ奪われたものの、彼の芸術は失われることなく、こうして東京にやってきました。エッシャーをして「常に我が道を行き、他の追従を許さず、独創的である」と言わしめたメスキータの世界を、日本初の回顧展で目の当たりにしてください。

3点並ぶ『鹿』(1925年)。メスキータは木版の制作に際し、しばしば刷る途中の段階で筆を加え、表現を変えることを好みました。本作においても、右から左へとステートが進むごとに背景が整理され、角は現実にあり得ないような三角形を描き、幾何学性がより際立っていきます。photo:Harold

『メメント・モリ(頭蓋骨と自画像) 』1926年 個人蔵 「死を忘れるな」を意味する西洋の伝統的な主題を取り入れた、60歳を目前とした自画像。深い皺と白い眉や髪が、否応なしに老いを感じさせます。頭蓋骨を見つめるメスキータの表情は諦めの境地に達しているかのようで、アウシュヴィッツでの非業の死を予兆させます。photo: J&M Zweerts

ステートの異なる『アヤメ』(1920年)。左にある初期のステートのアヤメは写実的に描いていますが、最も遅いステートである中央の作品には無数の横線が加えられ、装飾性が強くなっています。メスキータは故郷・アムステルダムの動物園や植物園を訪れ、異国からやって来た動物や植物を描きました。photo:Harold

『メスキータ』

開催期間:2019年6月29日(土)〜8月18日(日)
開催場所:東京ステーションギャラリー
東京都千代田区丸の内1-9-1
TEL:03-3212-2485
開館時間:10時~18時(金曜は20時まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日:月(7月15日、8月12日は開館)、7月16日(火)
入場料:一般¥1,100(税込)
www.ejrcf.or.jp/gallery

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