ITジャーナリスト林信行が、“メディアアート”に注目し続けるのはなぜなのか。
これまでの30年間、私は先進のデジタルテクノロジーを搭載したプロダクトやその研究、開発などに関わる方々を題材とする「テクノロジージャーナリスト」として活動してきた。しかし、長年の取材を通じて大きな発見があった。私は、てっきり自分がテクノロジーに興味があると信じ仕事にしてきたのだが、それが単なる思い込みであること、そして、私が本来興味を持っていたのはテクノロジーそのものではなく、テクノロジーによってもたらされる「未来」や「広がり」であることに気づいたのである。
その理由はいくつかあるが、ひとつが、テクノロジーが必ずしも社会をよくしていないと感じることが増えたことだ。美しさも豊かさをもたらしていないにもかかわらず、「便利」を売り文句にした資金力のある企業が影響力をもつことも多く、それを素敵だとは思わなくなってしまった。もうひとつは、もともと興味があったデザインの大事さを、より強く感じるようになったことだ。わかりやすい例が、2001年に発売されたiPodだ。世界的な大ヒットを記録し、Appleを大躍進させた記念碑的なプロダクトではあるが、iPodに革新的なテクノロジーが搭載されていたかといえば、そうではない。
プロダクトやデザインを超えた先にある、アートという未来予想図。
では、iPodのなにが人々の心を射止めたのか。もちろん、デザインにほかならない。シンプルでなめらかな筐体に背面が鏡面仕上げという斬新なルックス。そして、「1000曲をポケットに」のコンセプトを実現する、検証と議論を重ね磨き上げられた操作性の高さも、その要因であることは言うまでもない。この初代iPodの誕生が、世界規模で音楽を聴取するスタイルを一変させたことを考えると、未来を創っていたのはテクノロジー側ではなくデザインのほうではないかと強く思わざるを得なかったのだ。
そんな私の思いの高まりから、05年くらいからはデザイン分野においてもジャーナリスト活動を始め、徐々にテクノロジーからデザインへと仕事の内容をシフトしてきている。しかし、そうしてデザイン関連の仕事を通じ、多くのプロダクトデザインを見て取材してきた中で、残念ながらテクノロジー同様の懸念を抱くことになる。
それは、デザイン仕事の多くは、クライアントから出されたお題に対しての納得できる解答どまりのものだったり、他の成功例を後追い模倣したものが多く、クライアントと一体になって新しいなにかを切り拓くことまでしているAppleのような事例は稀だ、と感じることが増えてきたからだ。
そんな私が近年、デザイン以上に興味をもって追いかけているのが、以前から興味のあったアート、なかでも、芸術表現に新しい技術的発明を利用する「メディアアート」と呼ばれる分野だ。この分野では最近、AI(人工知能)をテーマにした作品やバイオテクノロジーを題材にしたバイオアート作品も増えている。