『福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ』、シニカルに世の中を見続けた画家の生き様を辿る。
謎めいたイメージやナンセンスな表現、現在と未来への憂いを込めた神話的描写……。1930年代にフランスから日本にシュルレアリスムを紹介し、また同時に自らも社会批評的な視点から絵画制作を続けた画家がいます。名前は福沢一郎。1980年代まで60年にもおよぶ彼の画業を振り返る、大規模な回顧展『福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ』が、東京国立近代美術館でスタートしました。
東京帝国大学文学部に入学しながらも、学業はそっちのけで彫刻家の朝倉文夫のもとで彫刻に勤しんだ福沢。1924年にパリに留学した当初は、彫塑に打ち込みます。やがて絵画に興味をもち、ルーベンスなどの西洋古典を学びながら技術の習得と表現の模索を行いました。そして最初の転換点となったのが、シュルレアリスムを代表するアーティストの一人であるマックス・エルンストのコラージュ集『百頭女』との出合い。書籍などの印刷物を切り貼りして新たなイメージを生み出す手法に触発され、絵画制作に没頭しました。
ありえないモチーフを組み合わせるなど表現を刷新し、誰も目にしたことのない創造を試みたシュルレアリストたち。その「超現実」的な手法に惹かれながらも、福沢は社会への批評的な視点を失わず、シニカルでユーモラスな表現を追い求めました。1931年にフランスから帰国すると、戦争の色が濃くなった日本では表現の自由が奪われていきます。そんな状況下でも権力や常識の目をかいくぐって自由な表現を模索し続け、その姿勢は戦後も変わることがありませんでした。