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誤訳や誤解から生まれる、アートの自由な可能性。
古代ギリシャ文明の象徴として名高い、アテネのパルテノン神殿。その原寸大レプリカ、つまり本物そっくりのコピーがアメリカ南部の都市、ナッシュビルにあるのをご存じだろうか? 横浜美術館で展示されたの荒木悠の新作は、2つのパルテノン神殿をめぐる本物と複製の関係性をテーマにしたものだ。
その背景には日米を行き来しながら育った彼の来歴がある。13歳で渡米した時、英語ができなかった彼は「なんとかしてアメリカのティーンエイジャーになろう」ともがいていたという。
「まわりの人の話していることやリアクション、話術などを見て覚えるしかないわけです。でもネイティブではないから、コピーしている気がする。自分の中に日本人と、アメリカ人になりきれなかった自分がいて、そのバランスが悪い。自分がニセモノでは?という思いにかられていました」
2つのアイデンティティに翻弄される彼の姿は、2つのパルテノン神殿に重なる。別の作品では自分の手をモデルに彫刻をつくる学生が登場する。
「型取りして鋳造することを『casting』と言いますが、映画で配役を決めるのも同じ言葉を使います。配役のほうの『casting』もある意味で〝型にはめる〞こと。そして、その型からズレるところにその人の個性がある」
誤訳や誤解も彼のテーマのひとつ。たとえばギリシャ彫刻には白のイメージがあるが、これは誤解なのだという。
「18世紀ドイツの美術史家ヴィンケルマンは、バロックやロココなどの装飾への批判として、古代ギリシャの彫像の白さを純正さの証しとして強調しています。しかし後の研究で、実際には着色されていたことがわかった」
彼の作品には、キリスト教の神を「大日如来」と訳し、後に論争を引き起こした人物をめぐるものもある。
「誤訳や誤解は通常はよく思われないけれど、作家としてはそこにさまざまな可能性が潜んでいると思う。せめて美術ぐらいその振れ幅で遊んだり考えたりする余地がもっとあってもいいのでは。そう思い、誤訳という概念を意図的に取り込んで制作しています」
コピーがなければオリジナルは存在しない、コピーがあるからオリジナルと区別しなくてはならないところが興味深い、とも彼は言う。コピーや誤訳などの〝非本物〞から、いろいろなものが見えてくる。
荒木悠『複製神殿コンセプトスケッチ』2015年、デジタル・コラージュ。右が本物、左がアメリカ・ナッシュビルにあるレプリカ。©Yu Araki
荒木悠『ペーネロペーの手』2015年、HDビデオ。手をモデルに彫刻をつくり、型取りする過程を収めた映像作品。©Yu Araki