Creator’s file
“いま”という時間を、多角的に表現するラッパー
「年々、自分の作品や活動をどう説明していいかわからなくなっています」
環ROYはラッパーである。しかし、彼の活動のあり方はパブリックイメージとしてのラッパー像とは一線を画し、実に多岐にわたる。多種多様なビートの上で自由闊達に躍動するフロウ(ラップにおける節回し)と同様に、環が自身のアーティスト性を投影するフィールドはオリジナル楽曲や通常のライブのみならず、アートギャラリーなどで発表するインスタレーション作品およびパフォーマンスアート、広告音楽の制作など、なにものにも束縛されていない。ただひとつ、環がクリエイトするすべての作品に通底しているのは、言葉と音楽と人間をめぐる、コミュニケーションの可能性をあきらめない表現者の矜持だ、と筆者は思うのだ。
「CDアルバムをつくっている時は、非言語的な感覚を言語化していく感じなんです。一方で、それ以外の表現、美術やパフォーミングアーツでは言語を非言語的な感覚へ還元するように取り組んでいます。でもこの解釈も、このインタビューを後から読み返したら違和感を感じるかもしれない。解釈とか評価って流動的なものだから、なかなか断言できないんです。いまは、あらゆることに棚が用意されラベリングされていきますが、キッチリ分類できないものを大切にしたいと思ってます」
冒頭の発言も、そういった時代の様相に違和感を覚えているからこそ出たものだろう。人間と人間が言葉を交わし、互いの相違点や一致点に触れ、独立した個の本質を理解した上で共鳴するためにはそれ相応の時間を費やす必要がある。インタビュアーという立場で環と対話し、そんな当たり前のことを再認識させられた。
「情報化しきったいまって、すぐに結果を求めがちじゃないですか。そうせざるを得ないように進んできちゃってるとは思うんですけど、なんというか、なんでもですけど、よくしていこうと思ったらやっぱりていねいにやらないといけないわけで、長い目でいろいろなことを見ていけるようになりたいです。もっとみんなと〝いま〞という時間に対する認識について話し合い共有したい。そういう気持ちを表現していきたいと思っています。だいたい機械化してきて本当は暇なはず、だからお話くらいできるでしょ(笑)って」
環ROYとは、あまりに真摯な言葉の表現者=ラッパーだ。
自身が企画制作を手がける音楽イベント「ラッキー」では、複数のアーティストと特殊編成のライブを披露している。photo by Yoshiharu Ota
今年4月には、愛知県芸術劇場にてダンサー/振付家の島地保武とのコラボレーション舞台作品『ありか』を上演した。photo by Naoshi Hatori