ブランドをつくるより、 作家としていまを生きる。

Creator’s file

アイデアの扉
笠井爾示(MILD)・写真
photograph by Chikashi Kasai
高橋一史・文
text by Kazushi Takahashi

ブランドをつくるより、
作家としていまを生きる。

舘鼻則孝 Noritaka Tatehana
アーティスト
1985年、東京都生まれ。モノづくりが好きな母の影響で、手づくりが推奨される家庭に育つ。2010年に東京藝術大学を卒業後、同年にNORITAKA TATEHANAを設立し、本格的にシューメイカーとして活躍。現在はクリエイティブ・ディレクターとしても幅広く活動している。

若き舘鼻則孝の名を一躍有名にしたのは、女性シンガー、レディー・ガガが愛用した超厚底の「ヒールレスシューズ」だ。踵がなく、前傾姿勢で歩くこの靴には、強烈なインパクトがあった。だが、この靴のルーツが日本文化にあると知る人は少ないかもしれない。舘鼻は、日本の伝統や技に根ざした活動を行うアーティストだ。彼の軸は、昔からブレずに続いている。

鎌倉でなんでも手づくりする教育を受けて育った舘鼻は、ファッション雑誌に夢中になった10代の頃、自身のブランドをつくることを決意。世界に通用するクリエイターとなるため、日本の文化を深く学ぼうと東京藝術大学の工芸科に進学した。そして卒業制作として発表した作品のひとつが、ヒールレスシューズだった。花魁が遊郭を練り歩く「花魁道中」で履く、底が極端に高い下駄がヒントになった作品だ。

「モノとしての靴にフォーカスしたのではなく、目指す〝スタイル〞の一環として考えたのがヒールレスシューズでした。その後に靴のデザイナーとして活動を始めたのは、レディー・ガガが靴を履いたことがきっかけです」

現在も靴のオーダーは世界中から舞い込み、チームで制作していても予約が約2年待ちの忙しさだという。

「年間で20足つくれるかどうか」

注文主の中には美術館もあり、アメリカのメトロポリタン美術館、イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館などに彼の靴が収蔵されている。

「刀や着物と一緒に日本のコーナーに靴が置かれているのがうれしいですね。このような経験もあって、アーティストや作家と名乗るようになりました。自分が死んでも残り続ける〝ブランド〞をつくるより、いまの時代を生きる作家としての道を選びました」

2016年、舘鼻はフランスのカルティエ現代美術財団において花魁をテーマにした文楽公演を監督し、伝統芸能を新しい切り口で世界に披露した。17年8月には過去最大規模の個展『リ・シンク展』を東京・表参道ヒルズで開催。日本の職人技術が活かされたアート作品に加え、制作のヒントにもなった浮世絵も展示した。

「文楽でもアートでも、日本の文化を伝えていきたいんです」

レストランのクリエイティブ・ディレクションなど、新しい試みにも着手している舘鼻。それでも、古都・鎌倉に暮らした自身のルーツへの思いの深さは変わることがない。

works

『リ・シンク展』で展示された「ヒールレスシューズ」。革に型押しし、金泥を刷り込んで仕上げられている。Courtesy of NORITAKA TATEHANA

パリのカルティエ現代美術財団にて上演された文楽の舞台。3人の遊女の物語で、監督のみならず美術や衣装も手がけた。Courtesy of NORITAKA TATEHANA, Photo by GION

※Pen本誌より転載
ブランドをつくるより、 作家としていまを生きる。