日本車のヴィンテージを語るときにかかせないブランドといえば「日産自動車」だろう。戦前の「フェートン」からレーシングカー「R91CP」まで「伝説の名車」を7台紹介する。今回はご存知、「FAIRLADY Z」にクローズアップ。
ラリーフィールドで性能を磨く、ロングノーズのスポーツカー
海外を舞台にしたモータースポーツで、日産自動車が最初に成果をあげたのはラリー。1958年のオーストラリア一周ラリー「モービルガス・トライアル」に2台の「ダットサン1000(210型)」が出場し、クラス優勝を飾ったのである。
ベースとなる量産車の性能が結果に大きく影響するラリー競技への参戦は、クルマの性能を磨くためにも、また優れた性能や品質を広く知らしめるためにも効果的だった。それゆえ日産は「ダットサン」でのチャレンジを継続し、63年からはブルーバード310型で東アフリカ・サファリラリーに出場。続く410型によるクラス優勝を経て、70年には510型で念願の総合優勝を果たす。さらに翌71年にはスピード重視型ラリーへのコース変更を受け「ダットサン240Z」、つまり国内では“フェアレディZ”と呼ばれるスポーツカーに参加車両をチェンジし、見事に連覇を果たした。
サファリで頂点に立ち、モンテカルロでも活躍。
アフリカ大陸での過酷なラリーへの挑戦と並行して65年からは歴史あるモンテカルロラリーへの参戦も始めていた。道なき道を行くようなサファリでは、マシンの信頼性や耐久性が勝つために最も必要とされたが、モンテカルロは舗装路のワインディングが待ち構える典型的な欧州型のスピードラリーと、舞台は大きく異なる。さらに「氷と雪」の上の走りが結果を左右するモンテカルロは、低ミュー路を得意とするFFやRRに分があり、当時は「ミニ」や「アルピーヌA110」がめざましい活躍を見せていた。
そんなモンテカルロラリーへ日産はサファリと同じようにダットサン240Zを投入。71年は総合5位だったが、72年には3位でフィニッシュしヨーロッパのラリーファンを驚かせたのである。長いノーズをもったFRのフェアレディZが好成績を残せたのは、ドライバーのラウノ・アルトーネン、コドライバーのジャン・トッドという名コンビの力量はもちろんのこと、素直な操縦性が光るZの扱いやすさがあったからだと言われる。
フェアレディZはデビュー後の9年間で、グローバルでの販売台数を累計52万台とし、スポーツカー空前のヒット作となった。
美しいデザインと高性能、そして実用性をも兼ね備えたスポーツカーに、お手頃なプライスがつけられたのだから、多くの人々が心を奪われたのは当然だろう。
加えてひとたびステアリングを握れば、意のままにクルマを操ることができるグッドハンドリングが、さらなる魅力を感じさせたのだ。フェアレディZの成功は、完璧な商品性に裏打ちされている。
こちらの記事は、Vマガジン Vol.02「世界に誇る名ヴィンテージ こんな日本車を知っているか?」特集からの抜粋です。気になった方、ぜひチェックしてみてください。アマゾンで購入はこちらから。