1882年にハバナで創業したクエルボ・イ・ソブリノスは、南北アメリカを通じて最初の腕時計ブランドである。当時のハバナは、スペイン領キューバの首府。その中心地に構えた店はスペイン語で「クエルボ・イ・ソブリノス」(=クエルボとその甥たち)の名の通り、クエルボ兄弟とその叔父ラモンによって経営された。彼らの手腕によって、ブランドは隆盛を極めていくことになる。
自由貿易港による繁栄を享受するラテンアメリカ随一の麗都は、北米やヨーロッパからも人を集めるカリブ海屈指の高級リゾート地でもあった。いまも各国の領事館や大使公邸が立ち並ぶキンタ通りに面した時計店は、各国各界の有名人が立ち寄る場所となり、アメリカの時計文化を育んだ。当時の顧客名簿にはキューバを愛した文豪ヘミングウェイはもちろん、チャーチルやアインシュタイン、クラーク・ゲーブルも名を連ねる。クエルボ・イ・ソブリノスは、特別な時計ブランドと見做されていたのである。
19世紀から20世紀へかけて、クエルボ・イ・ソブリノスのビジネスはさらなる発展を遂げる。アメリカ大陸での名声を決定的にした1890年代、ヨーロッパ大陸に進出。パリやドイツの大都市に店舗を、スイスに腕時計製造の拠点を構えた。ラグジュアリービジネスの世界で、ラテンアメリカのブランドが欧州で成功することは快挙であった。その頃には、スイスのトップ腕時計ブランドとのコラボレーションも行なっている。それらのダブルネームモデルは、今もコレクターが血眼になって探し求める逸品だ。
しかしその歴史は20世紀に入り、激動するキューバ国内の情勢に翻弄される。1950年代、独裁政権と革命軍の軍事的対立が決定的となる中で、キューバを離れる企業家が続出した。クエルボ一族もまたその例外ではなく、ハバナの店舗は閉鎖された。世界の腕時計ファンを魅了したクエルボ・イ・ソブリノスは、長い休眠状態を余儀なくされたのである。
この時、旧店舗の巨大な金庫室には3つのトランクが残されていた。実はその中にクエルボ・イ・ソブリノスの心髄ともいえる、世界の時計ファンの心を捉えた腕時計のデザインスケッチや完全な形のムーブメント等が残されていたのである。そのトランクが開かれ驚くべき中身の価値が明らかになるのは、およそ40年後のことになる。
ブランドが休止する以前のクエルボ・イ・ソブリノスの時計は、他の何にも似ていない華やかさを見せていた。20世紀の初頭にはアールヌーヴォー、アールデコといったデザイン潮流をヨーロッパから直接に吸収し、一方でジャズ・エイジのアメリカにも刺激を受ける。そのエッセンスがラテンアメリカ的な風土の中で昇華したデザインは、色彩とリズムに富み、人を陽気にさせた。一方で機械としても優秀な腕時計は、アメリカでもヨーロッパも高く評価された。
その魅力は、40年の不在を埋めて余りあるものだった。ブランドは1997年、長い眠りから目覚めた。オールドウォッチと腕時計製造の歴史の専門家が、クエルボ・イ・ソブリノスの権利を手にいれたのが僥倖だった。ハバナの旧店舗の金庫室に眠っていた歴史的な遺物の価値は、ブランド再興の可能性を確信させた。販売のスペシャリストも参加し、伝説のブランドは蘇り始めた。
2002年、世界最大の時計見本市バーゼルワールドに初参加。その腕時計は来場者を魅了し、復活したブランドの魅力はメディアを通じて全世界に伝えられた。クエルボ・イ・ソブリノスを知らない時計好きなどあり得ない時代が、再びやってきたのである。
現在クエルボ・イ・ソブリノスの時計は、本物のヒュミドール、つまり調湿機能のある葉巻入れに入れて納品される。ハバナ葉巻で名高い街に生まれ、同じく世界にその名を喧伝された時計ブランド。クエルボ・イ・ソブリノスにとって、それは誇りを込めたアイデンティティの表明にほかならないのである。
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