夏の風物詩・冷やし中華、驚きの誕生秘話に迫る

  • 写真:土居麻紀子
  • 編集&文:吉田けい
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キュウリやチャーシューなど5色の具材で彩られた「五色涼拌麺」¥1,540(税込)。キュウリで口を潤してから食べ始めるのが流儀のようだ。

夏の風物詩、冷やし中華。その発祥の地と言われる店の“元祖”に注目し、その生まれを紐解こう。

錦糸卵やキュウリなど千切りにした具とともに、さっぱりとした醤油ベースの甘酢ダレや濃い胡麻ダレで食す冷やし中華。堂々と“中華”と名乗ってはいるものの、中華圏では冷たい麺はほとんど食べないという。実は日本発祥の麺料理なのだ。では、冷やし中華はどのようにして誕生したのだろうか?

その秘密を知るのが、神田神保町にある「揚子江菜館(ようすこうさいかん)」。1906年創業の、神田に現存する中華料理店としては最も長い歴史をもつ店である。

現在は地下1階(厨房)、地上5階のビルで営業している。写真はひとりでも利用しやすい1階の店内。

醤油と砂糖、酢、鶏の出汁などからつくられる甘酢ダレ。「このタレがなければ、冷やし中華は広まらなかった」と沈さん。

「上海出身の初代が西神田で店を始めて、当時70軒ほどあった神田界隈の中華料理店を束ねる神田中華組合を立ち上げたと聞いています。その後、昭和初期に現在の神保町すずらん通りへ店を移し、日本生まれ日本育ちの2代目が冷やし中華を生み出しました」と、4代目店主の沈松偉(ちんしょうい)さんは語る。

研究熱心な2代目は、近所の蕎麦店に通ううちに、自分の店でもざる蕎麦のような冷たい麺料理がつくれないものかと考えたという。

「試行錯誤を重ね、完成まで2年かかったそうです。最初に苦労したのは盛り付け。当時は神保町からも見えていた富士山に見立てようと、麺を高めに盛り付けました。さらに、キュウリで夏の新緑、煮込んだタケノコで秋の落ち葉、糸寒天で冬の雪、チャーシューで春の大地を表現することを思いついたのです。さらに、富士山の頂上にかかる雲をイメージして錦糸卵をのせ、全部で5色の具が決まりました」

斜面に配した具で、 富士山の四季を表現。

冷やし中華を考案した2代目・周子儀(しゅうしぎ)さん。「神田まつや」の蕎麦が好きだったと伝えられる。

次に配慮したのは栄養バランスだ。エビ、シイタケ、絹さや、うずらの卵、肉団子を加えて具を10種に増やし、タンパク質なども十分に摂れるよう計算するとともに、完全無欠を意味する中国の言葉「十全十美」を意識。しかも、うずらの卵と肉団子は錦糸卵の中に隠し、食べているうちに姿を現すという遊び心までプラスしている。

最後に、冷やし中華の味わいを決定づける、甘酢ダレを開発。当時の富裕層の口に合うよう少し甘めに仕上げ、さっぱりとしていて、食欲をそそる、暑い日にぴったりな味を追求した。

「この味にたどり着くまで、実に200回以上も試作を繰り返したと聞いています。時代が変わっても、甘酢ダレは変えていません。2代目が生み出した味を、ずっと守り続けています」

約90年前から同店の看板メニューとして、多くの人に愛され続けてきた冷やし中華。現在も、繊維が細かく渋みのないキュウリを店主が自ら厳選し、うずらの卵は厨房で茹でて一つひとつ手で殻を剥くなど、調理の手間も惜しまない。霊峰に見立てた神々しいひと皿に、“元祖”を守ろうとするひたむきな想いが詰まっている。

冷やし中華が誕生した昭和初期から使われているレジスター。店の歴史の長さを物語っているようだ。

西神田から現在の神保町すずらん通りに移転した、昭和初期の揚子江菜館。窓ガラスに「中華喫茶」の文字が描かれている。

揚子江菜館
東京都千代田区神田神保町1-11-3
TEL:03-3291-0218
営業時間:11時30分~21時30分L.O. 
無休

※営業日時・内容などが変更となる場合があります。事前に確認をお薦めします。

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※Pen2020年8/15号「夏の麺喰い。」特集よりPen編集部が再編集した記事です。