一番いいものだけを求めた、ウィンストン・チャーチルのダンディな着こなし。
文:小暮昌弘(LOST & FOUND) 写真:宇田川 淳 スタイリング:井藤成一第1回 ヘンリープールのビスポークスーツ
1940年5月30日、西部戦線を席巻したヒットラー率いるドイツ軍が英国に迫る中、サー・ウィンストン・チャーチルは英国の首相に就任する。首相就任演説では、「私には血と労苦と涙と汗しか提供できるものがない。しかし神が我々に与える限りの力を尽くして戦争を戦うことができる」と彼は高らかに宣言し、ドイツに傾きつつあった戦況をひっくり返し、英国を勝利に導いた。
政治家として優れた人物であったことは明らかだが、同時に彼は洒落者=ダンディとしても知られていた。身に着けるスーツは背広の故郷、ロンドンのサヴィル・ロウで仕立てたビスポークスーツ。ドレスシャツももちろんビスポークだが、ヒットラーからの空襲で、防空壕に入るために同じシャツ店で「サイレンスーツ」と呼ばれる“つなぎ”を誂えた。
朝からウィスキーを嗜み、いつも手には葉巻が手放さなかったが、その葉巻もロンドンのセントジェームスかジャーミンストリートの店で仕入れたもので、空襲に遭った時、とある店から「首相の葉巻はご無事です」と連絡が入った話は有名。いまでもロンドンの名店を訪ね回ると、チャーチルの足跡が多く残っている。今回は英国のウィンストン・チャーチルが愛用した名品を紹介しよう。
ナビゲーター/小暮 昌弘
法政大学卒業。学生時代よりアパレルメーカーで勤務。1982年から(株)婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に勤務。『25ans』を経て『Men’s Club』で主にファッションページを。2005年から2007年まで『Men’s Club』編集長。2009年よりフリーに。現在は、『Pen』『サライ』『Forbes Japan』などで活躍。
1874年、第7代マールバラ公爵の末裔ランドルフ・チャーチルの息子として生まれたサー・ウィンストン・チャーチル。彼は「一番いいものしか好まない」と公言してはばからない男だった。肌が弱かったこともあって、子どもの頃から下着はシルク製のものしか身に着けず、士官学校を卒業した後、軽騎兵第四連隊に任官したが、その連隊を選んだ理由は軍服がきれいだったからと伝えられている。若かりし頃から彼の一流好みは徹底していた。
そんなチャーチルのスーツを仕立てていたのが、ビスポークテーラーが立ち並ぶロンドンのサヴィル・ロウでも最古の歴史を誇る「ヘンリー プール」。
創業は1806年で、創業者はジェームス・プール。「ヘンリープール」は、創業者の息子の名前にちなんでいる。20世紀初めには300人の縫製師をかかえ、この種の店としては世界最大の規模を誇っていた。ナポレオン3世、ディケンズをはじめ、世界中の皇族、貴族などが顧客名簿に名を連ね、吉田茂、白洲次郎など、日本でも愛用者が多かったスーツの逸品である。
第二次世界大戦の頃、チャーチルが着用した同ブランドのグレイフランネルのスリーピースはあまりにも有名。英国を愛した彼は素材も英国を代表する「フォックス」製を選んだと言われています。アカデミー賞を獲得した『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(2017年)で、チャーチルを演じたゲイリー・オールドマンが着用していたのもこの「ヘンリープール」のスーツだった。
問い合わせ先/ヘンリープール 日本橋三越本店TEL:03-3241-3311、ターンブル&アッサー ヴァルカナイズ・ロンドン TEL:03-5464-5255