キューバを愛した“パパ“アーネスト・ヘミングウェイの着こなしの流儀とは。
文:小暮昌弘(LOST & FOUND) 写真:宇田川 淳 スタイリング:井藤成一第1回 「ウィリスアンドガイガー」のサファリジャケット
もしきみが幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、パリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ——ロスト・ジェネレーションを代表する作家、アーネスト・ヘミングウェイの代表作『移動祝祭日』の冒頭の言葉です。
1899年、アメリカ・シカゴ郊外のオークパークでヘミングウェイは生まれます。高校卒業後、カンザスシティー・スター紙に見習い記者として入社した後、第一次世界大戦に参加。帰国後の21年、今度はトロント・スター紙の特派員記者としてフランスに渡り、スコット・フィッツジェラルドなどの多くの作家、芸術家と交流を深めます。25年、短編集『われらの時代』を出版、その後『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』などの作品を次々と発表し、世界的な作家に登りつめます。
53年にはピューリッツァー賞、54年にはノーベル文学賞を受賞しますが、61年に自殺。60年に完成した『移動祝祭日』は、死後出版されました。狩猟、闘牛、釣りを愛し、キューバやスペイン、フランスなど、世界を旅したヘミングウェイ。その作品、生き様に多くの人が影響を受けたことは間違いありません。
狩猟と旅をこよなく愛したヘミングウェイはアフリカのケニヤとコンゴへと旅をしていますが、その時に着ていたサファリジャケットは当時ニューヨーク随一の高級アウトドアスポーツ店であった「アバークロンビー&フィッチ」で購入したものでした。一説には買い物嫌いだった彼が唯一通ったのがこの店だったそうです。『パパ・ヘミングウェイ』(A・E・ホッチナー著 今村楯夫訳)には「お決まりの白いテニス用のサンバイザー(アバークロンビー&フィッチをダース単位で注文)で目に当てる光を遮っていた」と書かれています。
「アバークロンビー&フィッチ」から依頼を受けてサファリジャケットなどをつくっていたブランドが「ウィリスアンドガイガー」と言われています。「ウィリスアンドガイガー」は、1902年、探検家であったベン・ウィリスが北極での鉱脈探査のために衣類を開発する会社を設立、28年に実業家のハワード・ガイガーが会社に参画し、社名が「ウィリスアンドガイガー」となりました。チャールズ・リンドバーグが大西洋単独飛行をしたときも、エドムンド・ヒラリー卿がエベレスト登頂時にも同ブランドの服が使われました。
今回紹介するのはアーカイブを基にブッシュ・ポプリンと呼ばれる生地から製作した「オーストラリアン・ブッシュ・ジャケット」というモデルです。襟型や袖の長さなどのディテールを現代的にアップデートしていますが、製作はアメリカ国内で行なっています。デザインといい、素材といい、その風格といい、ヘミングウェイを感じるアイテムではありませんか。
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