東京・大阪に現存する、 昭和の名建築が面白い。〈後編〉

  • 写真:西岡 潔
  • 編集&文:山田泰巨
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戦後日本の復興と成長を国外に発信した文化のひとつに建築がある。なかでも丹下健三が発表した建築の数々は世界に大きな驚きと影響を与えた。しかしそれだけが昭和の建築ではない。いまも街に残る昭和の建築を「訪れるたびに発見があって面白い。細かいところまで凝っている」と話すのが、建築史家の倉方俊輔さんだ。倉方さんとともに昭和的建築の再活用を図るイベントを行う髙岡伸一さんを交え、ふたりに東京と大阪の昭和的建築の魅力をひも解いてもらうことにした。

【関連記事】東京・大阪に現存する、 昭和の名建築が面白い。〈前編〉

〈大阪〉西長堀アパート ●日本住宅公団による西日本初の都市型高層住宅。住宅の高層化を見据えた試金石として、前川國男が設計した「晴海団地高層アパート」と同時期に建設された。縦長のスリット窓が連続する巨大な壁面は、いまなお斬新な印象を与える。耐震補強を含む大規模な改修工事を経て、2016年より新規入居募集を再開。日本の前衛芸術のグループとして知られる「具体」のリーダーであった美術家、吉原治良による壁画が現在もエントランスに残る。


髙岡 昭和といえば「マンモス」というキーワードも挙げられます。高度経済成長期には、マスを収容するオフィスビルやアパートの頭にマンモスとの言葉が付けられました。そのひとつが団地です。団地というと郊外のニュータウンに目が向きがちですが、東京、大阪ともに市街地住宅も多い。大阪では日本住宅公団(当時)の「西長堀アパート」に注目したい。ここに、司馬遼太郎、森光子、野村克也らが暮らしたというのも昭和的です。公団が設計した住宅ながら、玄関には常にハイヤーが止まり、百貨店へ買いに出かけるという憧れの存在だったといいます。

倉方  それが「計画」の時代であったことにも結びつきますよね。国土計画や、高速道路、鉄道の計画。国が最先端の開発を行う時代で、率先してテスト的なプロジェクトを行っています。そこから得た知見で、たとえば団地が普遍化されていきました。

髙岡 市街地の団地は商業施設が入るなど、土地の有効活用もされました。

倉方 そうしたなか、1960年代までは外国人向けでしかなかったマンションが10年ほどで一気に一般化していきます。初期の「秀和レジデンス」は海外を強く意識しているし、マンションを手がける業者も従来と違い、他の職種が始めていくんです。決まったルールがないから建て方も画一的ではなく、後発であった黒川の「中銀カプセルタワービル」も単身者や個人のユーザーを念頭に差別化を図った。

髙岡 僕も「コープオリンピア」には一度宿泊させてもらったことがあります。ゲストルームの他にも、屋上にはプールがあったり、共用部の充実ぶりが目立ちました。

倉方 東京と大阪は昭和の時代における双璧でした。この時代、東京、大阪ともに事務所を構えた建築家が坂倉準三です。坂倉もやはり拡大する産業都市、企業の研究センターなどを引き受けました。駅や商業施設にも関与し、都市をデザイン。そこには、ここまで近代化したんだと人々が誇りに思えるような造形性と大衆性があります。

〈東京〉コープオリンピア ●JR原宿駅、東京メトロ明治神宮前駅にも至近の、商業施設を併設した集合住宅。地上11階、地下2階建てで住戸数164戸。暗色のタイルと銀色のアルミサッシで表参道の街路樹を引き立てる。マンションという概念が一般化される以前に計画されながら、当時としては先進的であったエレベーターや空調設備を完備し、フロントサービスを導入。屋上にはル・コルビュジエの集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」を模してプールが設けられた。現在もヴィンテージ・マンションとして、人気を集めている。

髙岡 坂倉だと交通系の施設が見逃せませんね。出光のガソリンスタンドシリーズ、高速道路のゲートやサービスステーション。まさにモータリゼーションという昭和に欠かせない要素を建築で実現していきました。

倉方 モータリゼーションに対応して交通計画に応えていった。「新宿駅 西口広場」は、クルマが表現の中心にありますね。文明の利器が社会をより良く変えていくという楽観的な視点が、よくも悪くも色濃いです。

髙岡 その時代の交通を中心とした建築として、「新大阪駅」も挙げたい。国鉄時代の駅舎はどんどん建て替えられていますが、これはまだ現役です。新幹線駅舎の外に、JRの在来線、地下鉄、新御堂筋が来て、それを飛び越えるように新幹線の線路が走っている。

倉方 メガ・ストラクチャーで交通整理することが大事だった。そもそも“新”大阪という名前が昭和的ですよね。

〈大阪〉 純喫茶アメリカン ●1946年創業。63年に現在の建物へ建て替え。細部に至るまで趣向を凝らしたインテリアに目を奪われる。貴重なイタリア製大理石、640枚の板を組み合わせて削り出したという木目の壁面装飾壁、花びらを模した照明、床やソファに用いられたテキスタイルなど、細部まで見どころが多い。豪奢なシャンデリアと螺旋階段による吹き抜け壁面に設置されたレリーフは、彫刻家の村上泰造によるもの。

髙岡 戦前に建った名建築に対し、戦後は名前に“新”を付けていくんです。こうした大きな構造に対し、都市生活を彩る「純喫茶アメリカン」のような喫茶店も薦めたい。東京だと有楽町の「stone」でしょうか。

倉方 石の存在感はあるけど、重くならずにモダンな雰囲気があります。床から立ち上がる細い1本の脚でテーブルが支えられている光景がスタイリッシュで、このためだけに製作したことに当時のインテリアにおけるものづくりのレベルの高さを感じることができます。それがいまも引き継がれ、一流企業が入居するビルでビジネス街におけるひとつの共有の場として成立している。ここは都市で仕事をしている人のための場所で、観光客が来る場所ではないんですよね。昭和のビジネス街が生みだした遺産です。

髙岡 ディテールでいうと、千日前の「食道園 宗右衛門町本店」もいい。それまでの焼肉店はガード下にあるような、家族で行く所ではなかった。そもそもが新しい業態だったんです。壁面がなぜかニューヨークの摩天楼なのもいいんですよね。

倉方 昭和とは「憧れ」の時代ですよね。昭和の終わり、バブル景気の時代になると、人々はパリやニューヨークにも足を運べるようになり、ナポリタンが本場にはないことを知ることになる。本物を知ってしまう。すると未来がまぶしかったり、「国際的」に雑食だったり、誤読が面白かったりすることは少なくなる。真剣に憧れていたがゆえの本物をある種、凌駕するオリジナリティ、それが昭和の魅力の源泉ではないでしょうか。


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