新橋駅前にある昭和のビルを題材に執筆した村岡俊也さんと「ニュー新橋ビル」を訪問。その猥雑さに惹き付けられる理由とは? 魅力の源泉を探ってみた。
JR7線に地下鉄2線、そして私鉄「ゆりかもめ」と多くの列車が行き交う新橋は、東京の交通の要である。それだけに多種多様な人々が集い、独自の発展を遂げてきた。その象徴ともいえるのが、新橋駅西口SL広場に隣接する「ニュー新橋ビル」だ。
格子状のカーテンウォールの外観が目を引くこの建物は1971(昭和46)年竣工。地下1階〜地上4階が商業施設になっている。この建物に惹かれ、66年竣工の「新橋駅前ビル」と合わせて新橋駅前の2つのビルをめぐるルポルタージュ『新橋パラダイス 駅前名物ビル残日録』(文藝春秋)を上梓したのが村岡俊也さんだ。彼の案内で、昭和と地続きに存在する「ニュー新橋ビル」へ足を踏み入れた。
さまざまな人を迎え入れる、 多様性が最大の魅力。
変形四角形のビルのエントランスは5カ所あるが、メインとなるSL広場に面した入り口からスタート。入ってすぐ、よく立ち寄るというジュースバー「ベジタリアン新橋本店」がある。
「初めて来たのは15年くらい前。鎌倉在住なので東京に来る時の入り口が新橋でアクセスがよかった。釣り具店目当てで訪れたのですが、雑多な業種の店がひしめきあっていて、入ったとたん“なんじゃこりゃ”と思いました」
それから頻繁に通い始め、だんだんと気になる店ができてきた村岡さん。そして、さらに募る“なんじゃこりゃ”を解明するため、このビルで働く人々にインタビューを重ね、ルポルタージュとしてまとめることにした。
新橋駅西口は戦後に闇市が立った場所でもある。その闇市の雰囲気を引き継ぐかのように、ビル内は迷路のような回遊式になっていて、行き止まりがないため、どこを歩いているのかわからなくなってくる。
まずはお茶を飲もうと、竣工当時からある地下1階の「純喫茶フジ」へ。
「雰囲気をつくる要素ってひとつではないと思うんです。商業フロアには300近い店舗があるのですが、画一的ではない。喫茶店の左隣にゲームセンター、右隣には新しくできた小籠包店があるように、新旧も業種もさまざま。それをカオスとも表現できるけれど、僕は本当のカオスは戦後の焼け跡だと思っていて、それをどうにかまとめてたどり着いたのがいま。戦後から断絶されていない感じが、ビル全体の雰囲気になっているのだと思います」
東京は、常にどこかの地域が再開発されている都市でもある。そして、そこにはマーケティングやコンセプト、コストといった言葉も見え隠れする。
「その点ここは、2階に並ぶ中国系マッサージ店もそうだけど、自然発生的に成り立ってきた稀有な場なんです」
誰かが規定したわけでなく、この地にやってくる人々の欲望や期待、親しみなどを受け止めて、時代とともに移り変わってきた。その多様性が、このビルの魅力になっているのだ。
また新橋といえば“サラリーマンの街”とひとくくりにされがちだが、決してそうではないと村岡さんは言う。
「僕自身、サラリーマンではないし、このビルにいるとそれがよくわかります。4階の碁会所には職業不詳のおじさんたちがいるし、近隣の飲食店の人が飲みに来ていたりもする。サラリーマンというキーワードでくくってしまうのはもったいない。よくよく見るといろんな人が来ていて、それを自然に受け入れている。一見の人にも常連にも優しいんです。昭和っぽい言い方をすると、店の人や来る人の人情や生き様みたいなものが刻まれているというか、生活が見える。老若男女が楽しめるものがこの中にはあるんです」
都心の真ん中で息づく、人と人を絶妙な距離感でつなぐ湿り気。それを助長するのが、回廊式のビルの造りでもある。村岡さんと一緒に歩いていても方向感覚がゆらいでくる。
「初めて歩くと迷ってしまう。旅をしているような、捉えどころのないヌメっとした感じも面白い。エスカレーター前のなにもない空間や、このビルのために焼いたタイルなど、いまの建築にはない妙な余剰もいいんです」
だからこそ、と村岡さんが提案するのが次世代につながる業態だ。
「センスのいい若者がビスポークのスーツ店とか開いたら、けっこう流行ると思います」
昭和の高度成長期に建てられたビルは、新陳代謝を繰り返しながら多様な人々を受け入れてきた。それは令和になっても変わらない。ここは、この先の可能性も秘めた、いまなおニューな場所なのだ。