脚本家・鎌田敏夫×速水健朗、トークイベントで明かされた80年代名作ドラマの意外な裏側とは。
2019年11月22日、代官山蔦屋書店にてPen Onlineの連載「速水健朗の文化的東京案内」初のトークイベントが開催された。速水健朗さんの対談相手として招かれたのが、名脚本家の鎌田敏夫さんだ。
時代の空気や社会の状況を鋭く読んで作品に反映させる鎌田さんは、これまでの作品にどのような意図を込めていたのか。 多くの来場者で盛り上がったトークの一部を紹介する。
拍手喝采の中、鎌田さんと速水さんが登場。まずは速水さんの自己紹介から始まった。速水さんにとっては、中学1年生の時に観た『男女7人夏物語』が初の鎌田作品だったという。
速水健朗さん(以下、速水):ライターの速水健朗です。『男女7人夏物語』は当時、クラスのみなが注目していて、大人の世界を垣間見るようでした。その後、他の作品も観てきたのですが、『金曜日の妻たちへ』で東急沿線の郊外を、『男女7人夏物語』で東京の東側、リバーサイドを舞台に設定されています。鎌田さんは都市とドラマを結びつけながら時代や世代を細かく描かれていて、その辺りのお話を直接うかがいたく今回お願いしました。
鎌田敏夫さん(以下、鎌田):脚本家の鎌田敏夫です。よろしくお願いします。いまの紹介で自分がものすごく立派に聞こえて嬉しいんですけど。そういえば、この会場のTSUTAYAさんとは、『男女7人夏物語』のレンタルビデオを並べてもらったご縁があり、実は連続ドラマとしては初めてのことだったんです。
速水:それは知りませんでした。
鎌田:これが爆発的にヒットしたので、それから他の連続ドラマのレンタルビデオもTSUTAYAに並ぶようになったそうです。
速水:昔はレンタルビデオって、映画だけを卸すものだったんですね。
鎌田:映画とスペシャルドラマのようなものはレンタルしていました。「連続ドラマは再放送もやってるのに、誰も金出してまで観ないよ」というのが、それまで出さなかった理由らしいですよ。
速水:それはいつ頃のことか、覚えてます?
鎌田:年代を言われるとねぇ、あまり覚えてない。
速水:いまでは多くのテレビコンテンツがレンタルビデオで借りられてますが、その走りというのは初めて聞きました。レンタルビデオ史のようなものは貴重な情報で、後から調べてもネット上で出てきませんよね。
鎌田:そうですね。僕には“最初”というのが意外とあるんですよ。
速水:では、まずはそこからお聞きしましょう。作家として経験した“最初”は他にもありますか?
鎌田:はい、意図的ではないですが他にもあります。『金曜日の妻たちへ』という作品は、郊外を舞台にした最初のドラマなんですよ。それまで下町のドラマが多かったのを、郊外の新興住宅地を舞台に設定しました。なかなか家が見つからなくて、横浜からずっとまわって、最終的にプロダクションの社員が住んでいた家をそのままセットに使って落ち着きました。
速水:1983年から始まった金妻シリーズ3部作ですね。
鎌田:何年、というのは別にいいんだけど(笑)。
速水:いや重要ですよ(笑)。鎌田さんの作品について、何年のものかを確認しながらお話ししたいので。
鎌田:『金曜日の妻たちへ』について話すと、出演者が35歳ぐらいの年代で横並びだと言われていたんだけど、団塊世代のドラマという意識も全然なくて。
速水:いしだあゆみさんや古谷一行さんなど数歳差はありますが、学生運動の頃に都心の四畳半に住んでいたかつてのカップルがお互い郊外生活をしている80年代、という団塊世代の戦後史という意識はなかったんですね。
鎌田:全然ない! ただ、当時はコマーシャルの手法に注目していて。『宣伝会議』の本を読んで、「ピンポイントでやる」ことにしていました。「35歳」「主婦」それ以外の人は見なくていい、と。
速水:マーケティングでは、ドラマが届くターゲット層についてよく話しますよね。いまでは当たり前に言いますけど、当時はまだドラマでF1層(20歳〜34歳の女性)、F2層(35歳〜49歳の女性)のようなことは話してなかったですよね。
鎌田:なかったですね。ピンポイントで35歳の主婦を狙って、音楽や舞台となる場所もそこから選んでいって。主題歌はボブ・ディランの曲「風に吹かれて」。「メロディーがいいから」ってピーター・ポール&マリーが歌っているものを使用したんだけど。
速水:当時はドラマの主題歌で有名な洋楽のアーティストの曲を使うこともあったんですか?
鎌田:あったと思いますよ。いまよりも使いやすかったんじゃないのかな。ちなみに、ボブ・ディランのノーベル賞受賞時には「ひと言コメントください」とテレビ局から電話があったんだけど断って。コメントって嫌なんですよ。
速水:シャイなんですね。
鎌田:シャイかどうかわからないけど、なんか嫌なんですよ。
速水:そういえば、“金妻ブーム”になって東急沿線の地価が上がったって話、よく語られるんですけどご存じですか。
鎌田:ああ、噂があったのは知っています。僕の作品、地価を上げるんですよ。京王線もそうだし。
速水:京王線もありました?
鎌田:田村正和さんと古谷一行さんが出演する『男たちによろしく』というドラマを聖蹟桜ヶ丘駅でつくりましたが、そこでも地価が上がりましたから。
速水:なるほど。
鎌田:ちょっと自慢なのが、鎌倉で撮っていた『俺たちの朝』の話。当時、実は江ノ電の廃止が決まってたんですが、僕のドラマの影響で人が押し寄せたので廃止を取りやめたんです。
速水:中村雅俊さんの出演で人気を博した1976年『俺たちの旅』に続き、翌年にシリーズ2作目として放送された『俺たちの朝』ですね。勝野洋さん、長谷直美さん、小倉一郎さんの3人が鎌倉で同居生活をする。現在だと鎌倉は観光地で、それこそオーバーツーリズム。この頃の鎌倉はそこまで観光客も多くなかったんですね。
鎌田:『俺たちの朝』は当初、世田谷区の等々力渓谷を舞台にしようとしてたんですが、駅のホームでの撮影許可が下りなくて断念しました。
速水:舞台はもともとは鎌倉ではなかったということですか?
鎌田:うん。それでどこにしようかということで偶然、鎌倉になりました。駅での撮影許可が下りてたら、いま頃江ノ電はなかったですね。
速水:そういえば、『俺たちの朝』は1年間も放送されていたので、ものすごい話数になりましたよね。
鎌田:当時のドラマは失敗しなければ、1年間放送してましたね。
速水:結末をどうするかは、ドラマが始まってから考えていたというのは本当ですか?
鎌田:ああ、もちろんそうです。最初に結末を決めてつくると説教ドラマになるので、ドラマを進めながら手探りで最終話に向かっていくのが常でした。
速水:『俺たちの朝』では、勝野さんはヨットで世界一周、小倉さんは演劇をやりたい、長谷さんは洋裁をやりたい。勝野さんが元気はいいんだけど空振りといった役で、「みんなでジーンズ屋をやろう!」とか言って失敗したりとか。キャラクターだけあって、最後どうなるのかわかんないぞという状態で……。
鎌田:その状態で始めてます。僕はドラマのキャラクターをつくって流れに放り込んだら、後は自然と進んでいくスタイルでやっています。キャラクターってとても大事なんです。
速水:逆にそこはものすごく最初から練り込んで。
鎌田:面白いキャラクターというのはもちろんなんだけど、それに加えていまやるべきテーマをもってなきゃいけない。
速水:いまやるべきテーマ?
鎌田:たとえば70~80年代のアメリカだと、「カネだ! カネだ!」といったような強さが求められていたんですよ。そこで当時のアメリカ映画では、争いに強いガンマンが女性に出会って恋をして変わっていくという設定が多かった。
速水:なるほど。おそらく鎌田作品のキャラクターでいちばん愛されているのは、『俺たちの旅』のほうのカースケ、中村雅俊さんが演じた役だと思うんですけど。このカースケは、中村雅俊ありきでつくったキャラクターなのか、最初からカースケというキャラクターに中村さんが合わせていたのか。こちらはどうですか。
鎌田:いや、中村が演じることは決まってたんで合わせてつくったんだけど、実は彼にお願いしたところ、「こんな役やってもいいんですか」とずいぶん言って、俺が延々と説得した。まだ彼は新人で、こんな女好きな役をやったら嫌われるかもしれないと思っていてね。
速水:中村さんは、二枚目でスケベではないキャラクターをやりたかったんですね。
鎌田:こんな100%スケベな役はちょっと心配だったんじゃないですか。
速水:世間にウケるのかどうかということも含めて。
鎌田:うん。俺は戦前のアメリカ映画『生活の設計』が好きなんだけど、出演している俳優のゲイリー・クーパーなんて、偏った役ばかりやってる。まともな役なんて演じても、面白がられないんだよ。