グレン・グールドの“驚異の音楽人生”を象徴する、この曲をいまこそ聴こう。
20世紀を代表するピアニストであり、作曲家としても不世出の天才といわれるグレン・グールド(1932~82年)。彼が残した2パターンのJ.S.バッハ作曲『ゴールドベルク変奏曲』を収めた2枚組アルバム『Glenn Gould - A State of Wonder - The Complete Goldberg Variations 1955 & 1981』がリリースされた。
現在も高い人気を誇るグールドが、50歳という若さで亡くなってから早くも40年近くが経とうとしている。録音と電子メディアへの情熱、演奏会に疑問を呈して1964年にすべてのコンサート活動を中止した「コンサート・ドロップアウト」、モーツァルトやベートーヴェンの大胆な演奏解釈……。彼は、数多くの伝説と逸話を残した。なかでも『ゴールドベルク変奏曲』は、その驚異の音楽家人生を象徴する楽曲だ。
今回の2枚組アルバムのCD1に収められたのは、55年にニューヨークのコロンビア30番街スタジオでモノラル録音された、38分36秒の『ゴールドベルク変奏曲』。彼にとって初録音であり、20世紀の音楽史に輝く金字塔だ。圧倒的技術力を背景にした明晰さ、躍動するリズム感、清新なリリシズムは、カナダやアメリカはもちろん、世界の音楽シーンを席巻し、鉄のカーテンと呼ばれたソ連でも演奏会が開催された。また、グールドの演奏とバッハの曲の解釈は、その後のバッハ研究やピアノ演奏、ひいては音楽界全般に大きな影響を与えている。
そしてCD2には、死の前年である81年の4~5月にニューヨークのコロンビア30番街スタジオでデジタル録音され、死の直前にリリースされた51分23秒の『ゴールドベルク変奏曲』が収録されている。55年のスピードに乗った奏法ではなく、ゆったりしたテンポで細部にまで留意した緻密な演奏は、「名盤のほまれ高い27年前の初録音を遥かに凌駕する世紀の名演」とする評論もある。確かにこれまでにない陰影を感じさせる深みのある演奏だ。しかしなぜ、グールドは再録音したのだろうか。
グールドに対しては、原作者である作曲家の意図や指示を無視するという批判があった。それはある意味で、演奏はひとつの正解に近づくべきだということだろう。それに対してグールドは演奏者の創造的な解釈の可能性、つまり複数の正解を主張した。彼は人生の最終盤において、自らの演奏の中で誰もが認める最初の『ゴールドベルク変奏曲』を例に、それとはまったく異なった、しかし前作に劣らぬ完璧な『ゴールドベルク変奏曲』の演奏を実現することによって、創造的解釈の可能性を自らの力で証明したのだ。それは、ただひとつの絶対的真理という幻想を打ち破ることでもあった。もちろんこれは私の仮説で、それこそいろいろな解釈があるだろう。いずれにしてもこの2枚組アルバムは、配信世代の方にも一聴の価値があると思う。
ところでこれは蛇足だが、ひとつ思いついたことがある。それは82年にリリースされた最後の『ゴールドベルグ変奏曲』のジャケット写真のことである。グールドは夏目漱石の小説『草枕』の大ファンで、4種類の翻訳書を持っていたといわれる。そうすると彼は、夏目漱石の右手を額にあてた有名な肖像写真を見ていた可能性がある。そう考えると、グールドの最晩年のポートレートであるあのジャケット写真は、もしかすると漱石の姿に倣った可能性があるのではないか。『草枕』の冒頭の文章は有名だが、グールドはあの文章をどんな風に読んだのだろう。そんなことを彼の弾く『ゴールドベルク変奏曲』を聴きながら思った。
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る」(夏目漱石『草枕』冒頭より)