「自分の中のいちばん遠いところにあるものを取りにいく」──尾崎世界観が語る創作の裏側
尾崎世界観
ミュージシャン
第164回芥川賞候補作『母影』の著者、尾崎世界観の名を最初に世に知らしめたのは音楽だ。ヴォーカルとギターを担当するロックバンド、クリープハイプは2012年にメジャーデビュー。2日間の武道館公演が即日完売するなど、順調に歩んでいた。
「小説と出合ったのは、バンドがうまくいかなくなってきた時でした。ライブをやっていてもなんとなくお客さんの空気感が以前とは違っていて。声も思うように出せなくなって、音楽からの逃げ道のように小説を書き始めました」
プロを目指すバンドマンの日々を綴るデビュー作『祐介』を書き上げた尾崎は、音楽と小説の創作の違いに気づく。
「音楽は、どこかからもらってきたものを形にするという感覚があります。1曲できるまでが早いんです。だけど、小説はもらえるものが一切ない。これまでずっと歌詞を書いてきて、言葉を扱うことにある程度は自信がついていたので、まだ自分にできない表現があったのかと焦りました」
『祐介』は高く評価され、音楽活動も再び軌道に乗った。
「デビュー10周年の全国ツアーを企画し、これまででいちばん多くのチケットが売れていました。それがコロナ禍で中止に。この先これだけのチケットが売れることはもうないだろうと思いました」
『母影』を書いたのは、それで時間が空いた時だった。 「小説を書く時はいつも、思いついた短いフレーズをiPhoneにメモするんです。だけどいざ執筆が始まると、メモが役に立たない。書こうと思っていたはずの感覚が溶けてなくなってしまうこともよくあります。だから、さらに自分からつかみにいくことが必要でした」
作品ごとに評価される、小説はそこが面白い
少女が、マッサージ店に勤める母親の仕事や自身の日常を語る『母影』は、店を訪れる男性客や小学校のクラスメートらの姿を鮮やかに捉える。瑞々しい少女の感性を尾崎はいかに手に入れたのか。
「自分の中のいちばん遠いところにあるものを取りに行くのが創作だと考えています。今回は、それが少女でした。すべて自分の中にある感情からつかんだものです」
興味深いのは、少女の名前も服装もほとんど出さないまま、小さな心の動きを描き切る点だ。
「歌詞を書く時もそうですが、登場人物の顔をイメージしたりはしないんです。僕は手持ちのカメラで目の前にいる相手に近づくようにして書いています」
作品には「知らない感覚を味わえた」「幼い頃を思い出した」という感想が寄せられた。
「これまで言葉にした人はいないと思えるような感覚を書きたいと考えていたので嬉しかったです」
今年に入り、ライブ活動も再開。座席の間隔を十分に取る、新しいスタイルを試みる。
「これまではぎゅうぎゅうの観客席で全員が拳をふり上げて、大声で叫んだり、ジャンプしたりしていました。だけど自分は、観客なら後ろで見ていたいタイプなので、それが唯一の正解だとは思っていなかったんです。だからいまは、新しい見せ方を考えるのが楽しい。お客さんが満員だった客席は平面に見えていたのですが、再開したツアーで間隔が空いた客席は立体的で、音がお客さんの間を循環していくようでした」
観客数を絞ると、ライブだけでは収益が厳しくなりそうだが。
「音楽配信サービスにも力を入れています。単曲勝負になるので新しい戦い方が必要ですね」
小説は次作に着手している。
「正直に言えば怖さもあります。音楽は、なにかつくろうと思えばつくれると確信があるのですが、小説にはそんな保証がない」
だけど小説をやめる気はない。
「小説の読者は、人やグループにつく音楽のファンと違って、一作ごとに評価をする気がしていて、それが面白い。最近は音楽も曲単位で聴かれるようになってきたので、似ているところがあるのかもしれません」
ふたつの土俵を行き来する尾崎は、これからさらに豊かな創作の世界を築いていく。
配信シングル『四季』 クリープハイプ
フジテレビ系で放送中の『奇跡体験! アンビリバボー』のエンディングテーマとして書き下ろされた楽曲“四季”。軽快なメロディーとなにげない日常を切り取った歌詞が印象的な、心温まるナンバーとなっている。“奇跡”というのは日常生活があってこそ感じることができるもので、“奇跡”を感じるための“日常”にフォーカスして制作されている。
著書『母影』 新潮社
行き場のない少女は、カーテン越しに世界に触れる―デビュー作『祐介』以来、4年半ぶり初の純文学作品。小学校でも友だちをつくれず、居場所のない少女は、母親の勤めるマッサージ店の片隅で息を潜めている。お客さんの「こわれたところを直している」お母さんは、日に日に苦しそうになっていく。カーテンの向こうの母親が見えない。少女は願う。「もうこれ以上お母さんの変がどこにもいかないように」。第164回芥川賞候補作に選出。
著書『苦汁200 % ストロング』 文春文庫
震えているのは自分の声なのに、まるで他人事だった。悔しさも悲しみも、なかなか追いついてこない―尾崎世界観、赤裸々日記の第2弾。文庫版では、『母影』が第164回芥川賞にノミネートされ「情熱大陸」に密着される日々を綴った2万字の書き下ろし最新日記「芥川賞候補ウッキウ記」を追加収録。