Standards Manualは、2014年にグラフィックデザイナーのジェシー・リードとヘイミッシュ・スミスによって創設されました。彼らはグラフィックデザイン史のなかで埋もれてしまった良質なデザインを「文化的遺産」と捉え、いま一度フォーカスを当てて次世代にも受け継がれていくような土壌をつくっていくことを志します。単に記録史料として寄せ集めたアーカイブではなく、その編纂の仕方にも妥協を許しません。彼ら自身の本職であるグラフィックデザインを通じて得た知識や教養を活かし、紙や印刷の選定、仕上がりに対して突き詰めていく姿勢を貫いています。その堅実な試みが結実し、これまでにアメリカ建国記念バッジやニューヨーク市都市交通局のデザインといった、公共性の高い組織におけるグラフィック面の方針を体系的にまとめた書籍を出版してきました。
その彼らが、2015年に出版したのがNASA(アメリカ航空宇宙局)のグラフィックス スタンダーズ マニュアルです。これをひも解くにあたって、舞台は1972年に遡ります。当時のアメリカ国内では、政府機関の視覚伝達における水準向上を目指す機運が高まりつつありました。これを受けて国立芸術基金(NEA)は改善プログラムを始動、その最有力候補としてNASAに白羽の矢を立てました。当時のNASAの視覚伝達は旧態依然としたものであり、明快で統一化された方向性をもっていませんでした。言い換えれば、発展の余地を多くはらんでいたのです。NASAから提案依頼(RFP)を受け取ったのは、ニューヨークを拠点とする小規模な若手のデザイン事務所「Danne & Blackburn」でした。創業者であるリチャード・デーンとブルース・ブラックバーンが提案した企画案は受け入れられ、1975年には8.5×11インチのリングバインダー状のNASAグラフィックス スタンダーズ マニュアルがリリースされました。その後10年にわたり、レターヘッドからスペースシャトルに至るまで、NASAの新しいアイデンティティを設計する上での広範囲におよぶ指示書としてコンテンツを充実させていきました。
1975年から1992年まで運用された、近未来的な印象を与えるロゴタイプ「Worm」の訴求力はさることながら、画期的なデザインシステムも特筆すべきものです。システマティックに構築されたマニュアルのおかげで、誰もが容易に運用ができたであろうことは想像に難くないでしょう。統一感のある視覚言語を通じて、科学と宇宙探索の最先端を行くNASAという組織を一致団結させ、次の段階へと押し進めることに一役買ったことは言うまでもないことです。版元であるStandards Manual自身、Wormはほぼ完璧なものだと信じて疑いません。そして、その後ろに構築された理性的なシステムについても、モダニズムデザインと思考における素晴らしい好例だとみなしています。卓越したデザイン・スタンダードとして後世に受け継ぐのに値すると感じた彼らは、この再版に向かって動き出しました。
実は本書、NASA自体はスポンサーでも公認しているわけでもありません。Standards Manualが熱意をもって主導したインディペンデントなプロジェクトの一環として遂行されたものです。Wormの考案者でもあるデーン、ブラックバーン両氏の寛大なバックアップがあって書籍化が実現しました。運用がとりやめになったのち、20年以上の歳月を経てもなお心に響くデザインを残したDanne & Blackburnに敬意を払う彼らの熱意が通じたのか、デーン氏は個人的なアーカイブを提供することを快諾しました。本書に収録されているビジュアルは、デーン氏のアーカイブから複写したものが起用されています。デザインが、時代を超えて世代をつなぐ架け橋となった模範的な事例です。