ノンフィクションの書籍やポスター、ポストカードといった多様な印刷物を手がけながら「習うより慣れろ」のスタンスで技術とセンスを洗練させていったゲルハルトは1993年、のちのアートマーケットを先読みするかのように、写真集に注力するようになります。徹底した印刷へのこだわりと、長年の経験によって培われた高い技術、そしてアーティストの求める方向性を即座に理解するセンスによって、シュタイデル社は現在では多くのアーティストが信頼を寄せる出版社に成長しました。
写真界の巨匠、ロバート・フランクもシュタイデル社に信頼を寄せるアーティストの一人です。彼の代表作であり写真史に残る名作とされている『The Americans』の初版は1958年、この本は、ロバート・フランクが1955年にグッゲンハイム財団から助成を受けてアメリカ全土を旅し、2年間をかけて各地で撮影した2万8000カットの中から83点をフランク自身がセレクト、1冊の写真集としてまとめたものです。当初アメリカの出版社に刊行を打診するも、アメリカの実情をあまりにもリアルに写した写真群に出版元が躊躇し、初版はフランスから『Les Américains』というタイトルで出版されました。アメリカで刊行されたのは翌1959年、その後いくつかの版元からデザインなどが変わりながら出版されていますが、初版の刊行から50周年にあたる2008年以降、オリジナルのプリントから印刷用データをつくり直し、三色で刷られた再現性の高い復刻版がシュタイデル社から刊行されています。
ロバート・フランクはこの写真集をつくるにあたって、「ダミーブック」と呼ばれる写真集の模型制作を行い、写真の順番やレイアウトなどをテストした体験から、本自体が表現になり得ることに気がついたとゲルハルトに話しています。ロバート・フランクが若かりし頃に学んだ写真集の可能性を次世代の表現者たちに知ってもらうべく、ゲルハルトが今年から始めたプロジェクトが「Steidl Book Award」、日本でも「Steidl Book Award Japan」がスタートしました。
「Steidl Book Award Japan」は公募によってダミーブックを募り、ゲルハルトによって選ばれたグランプリ作品はシュタイデル社から作品集が刊行され、世界に流通するという賞です。日本にも多くの美術賞が存在していますが、受賞をきっかけに必ず世界に作品が発信されるという点でこのアワードは画期的です。今年の応募は700以上のエントリーがあり、つい先日都内でゲルハルトによる作品の選考が行われました。
この選考に立ち会い、どのような基準で審査をしているのかを聞いたところ、「今回の応募作品は、造本などや紙の質感などに高い意識をもっている作品が多く、どの作品も素晴らしい。けれども、審査を行う上で、いちばん重要視しているのは作家の考えている作品のコンセプトと、本自体が新しい表現になり得る可能性だ」との答えが返ってきました。作家の既にもっている社会的評価やうわべだけの美しさにはとらわれず作品に真摯に向き合い、出版人としてアーティストの表現を形にする手助けをする姿勢に世界中のクリエイターが信頼を寄せているのでしょう。
今回の選考で最終的には候補作品が8作品まで選ばれました。候補作品の作家との対面によるレビュー後、グランプリが発表され、受賞者はドイツに招かれて本づくりを行うことになります。グランプリの書籍刊行は2018年の秋を予定しています。「世界一美しい本をつくる男」が手がけたアートブックを通じて世界に発信される日本の新しい才能に期待が高まります。