小林武史 サステイナブルの行方。
「もっと、もっと」の考え方を改め、 負のスパイラルから抜け出すべき。
オクダ サトシ(goen°)・絵 illustration by Satoshi Okuda
小久保敦郎(サグレス)・構成 composed by Atsuo Kokubo
先日、海洋資源の減少について改めて話を聞く機会がありました。日本人が大好きな「本マグロ(太平洋クロマグロ)」は、本来あるはずの資源量に対して、わずか4%程度しか残っていないそうです。ウナギも絶滅寸前。スルメイカの漁獲量も激減している。総漁獲量は、ピーク時の3分の1。漁業者は減り、漁業を取りまくコミュニティも崩壊の危機に面しているといいます。
なぜ魚が減ったのか。地球の温暖化や海洋汚染など理由はありますが、特に影響しているのが乱獲だといわれます。これまで日本では漁獲制限が緩く、魚は獲り放題に近かったようです。稚魚まで獲ってしまう。でもここにきてようやく漁業法が改正され、部分的な漁獲制限が始まりました。これは、ひとつの光明。大西洋クロマグロのように、漁獲制限により資源量が回復した実績があるからです。
消費者の目線から、一例としてマグロについて考えてみました。寿司や刺し身にするとマグロは存在感があるし、それがなければ成り立たない雰囲気すらあります。不動の四番打者のようになっている。でも、なんで不動なの? と思うことがあります。僕はお好みで寿司を食べる時、マグロはあまり頼みません。他に気になるタネがたくさんあるから。僕の中ではマグロよりも近海で獲れた魚のほうがプライオリティは高い。その時期、その土地での一期一会があるので。もちろん食べてみると「あれ?」と思うことはあります。一方で、とびきりの魚に出合ったりもする。それが本当に楽しいんです。マグロは確かにおいしい。でも、マグロ一辺倒でそれが当たり前になっていて、食べ続けることに疑問を感じていないのではないか。その姿勢には、どこか違和感を覚えてしまいます。
これまで漁業者が魚を獲れるだけ獲ってきたという背景には、なにがあるのか。魚を安く食べたい消費者がいて、ならばと安く売りたい流通業者がいて、その結果薄利多売となり、たくさん獲らなくては生活ができない漁業者がいる。消費者からつながる、負のスパイラルです。誰もやめようと言えない状態になっているのは、なんとかしなくてはいけない。「もっと、もっと」というのをやめるのもそうですし、既にそれぞれのあり方自体を見直さなければいけないところまで来ているとも感じています。