刃物たるべく 職人の昭和
土田 昇 著
三代続く刃物店を舞台に綴られる、昭和の職人たちの仕事と思想。
森岡督行「森岡書店 銀座店」店主「断りなく勝手に他人の道具にふれようとした者に対し、道具の持ち主はそのふれようとした手を錐で刺してもよい、と教えられたものです」という大工、岡野和義の訓戒から始まる本書は、著者である東京・三軒茶屋の「土田刃物店」三代目店主・土田昇の精緻な文章によって、鋸や鑿など、木工手工具を介して形成された人々の魂の交流が描かれている。時代は昭和から平成にかけて。「土田刃物店」初代店主の助治、二代目・一郎、三代目・昇のもとを訪れた無名の鍛冶職人や大工が登場し、その交流とともに彼らの仕事ぶりや職人としての道徳が明らかになる。
職人、刃物店、大工の三者をつくり手、売り手、使い手、と換言すれば、書店を営む売り手の私としては、売り手にも常に「批評精神」が必要であるという見解に胸を打たれた。土田刃物店では、市場にアピールしてただモノを売ってよしとはしない。また、むやみに誰にでも売るようなことはせず、必要とする職人のためだけに売るのだという。本書では、建具製作の本田真松が神田の古本屋で高額な薬師寺の修理報告書を入手し、それをもとに5年かけて模型をつくった話が紹介されているが、私はかつて神田でそういった報告書を売る仕事をしていた。その報告書は、私が勤めていた書店で求めたのかもしれない。ひとりのお客のために本を選ぶ。その気概を思い出した。
最終章で描かれるのは、嶋村幸三郎という無名性を是とした大工の仕事と生き方だ。著者は月島の仕事場で鑿づくりをともにした経験をもとに、嶋村の鍛冶職人としての人柄と戦争体験とを淡々と綴る。近代化で多くの技術が必要とされなくなり、職人たちも去った。「本当に誰もいなくなってしまったんだな」という著者の感慨は重い。自らを語らなかった職人たちの思想が、静かでいて確実に一冊の書に刻まれた。そこに希望がある。
『刃物たるべく職人の昭和』 土田昇著 みすず書房 ¥4,950(税込)