レモンサワーブームを巻き起こしたバーオーナーの田中開(かい)さんと、飲食界を牽引するシェフの森枝幹(かん)さんが食を巡る話題をお届けする連載。5回目は、2000年の開店から21年、羊とクミン、パクチーと自然派ワインで、いつも新しい中国料理の世界を届けてきた味坊の梁さんが始めた広大な自家農園と、羊の丸焼きができる秘密基地に潜入。おうちご飯が続くコロナ禍の中、梁さんは本場の中国東北地方の味を全国の家庭に届ける取り組みを始めた。
2000年初頭、神田駅のガード下で産声を上げたのが、梁さんの「味坊」。クミンと一味唐辛子が効いた羊肉串や、青唐辛子とパクチーのサラダ、発酵白菜の鍋、羊肉の餃子など、初めて味わう中国東北地方の料理は、瞬く間に東京を席巻した。和食や分子調理レストランを経て、サステイナブルで枠にとらわれない自由な料理を得意とする幹さんにも、梁さんはいつも気になる存在。一方、ドイツ人の父をもつ田中開さんも、世界を股にかけた食いしん坊。まだ学生だった頃から、リーズナブルでとことん旨い味坊の大ファンだった。
その後、湯島、御徒町と、少しずつ違うコンセプトの店を増やし、三軒茶屋では湖南料理という新しい中国料理の魅力を紹介してくれた梁さん。チャイニーズでは珍しく、冷蔵庫から自分で取り出すカジュアルな自然派ワインがあることも、ふたりの好みにぴったり。そんな梁さんが最近は、自分の農園で野菜を自給自足していると言う。しかも、足立区六町にある秘密基地には梁さん自身が溶接し、耐火煉瓦を積んだ羊の丸焼き窯もあるらしい。いても立ってもいられないふたりは、六町を目指しつくばエクスプレスに乗り込んだ。
梁さんの自家農園で、穫り立て野菜の滋味に顔がほころぶ。
つくばエクスプレスの六町駅に着くと、梁さん自身が大きな送迎車で迎えに来てくれていた。六町のラボに併設された巨大な宴のスペース「吉味東京(ジーウェイドンジン)」の送迎用に購入したものだと言う。しかし、2020年6月のオープン時には街は既にコロナ禍の中、送迎車はスタッフや見学に来る人たちの足として活躍している。取材スタッフを乗せて、車は郊外の自家農園に向かった。まず到着したのは、小松菜と菜の花が混在する縦長の畑だ。
田中開(以下、開) : うわー、広いなぁ、ここ。どのくらいの広さ、あるんですか?
梁宝璋 (以下、梁) : 2800坪くらい、あるんじゃない。ここだけじゃなくて、この辺りにいくつかあって、ラボの方にも別に小さいのがある。
森枝幹( 以下、幹) : これは小松菜? なんだか元気が良すぎて、日頃見ているのと違う野菜みたい。花が咲いてるのは、菜の花ですよね!?
開 : この、茎が紅い野菜は?
梁 : 中国野菜の紅菜苔、あんまり市場で見かけないから、自分で作ろうかなと。小松菜、菜の花、パクチー、葉ニンニク、空豆、色々作ってるよ。向こうのまだ何にも生えてない畑は、今ジャガイモを作り始めたところ。
幹 : これ、食べちゃっていいですか!?
梁 : もちろん、完全な無農薬だから安心だよ、そのまんま齧って!
開 : 旨っ、何これ!? なんか、おなか減ってきちゃった。
幹 : 小松菜って、ほんとはこんなに甘味があるんだ。料理するのがイヤになるほどおいしい。
開:このままでいいじゃん(笑)
梁 : ハハハ、おいしいでしょ!?
ふたりは味坊農園について次々と質問をぶつけた。
開:そもそも、なんで畑やろうと思ったんですか? 自給自足?
梁 : さっきの紅菜苔とか、葉ニンニクとかって、市場になかなか売ってないし、見つけても高い。それにたくさん使うから、だったら、作っちゃおうかなと。
幹:でも、実は、市場で買った方が楽だし、色々な手間暇とか考えたら安かったりしませんか?
梁 : (笑)もちろん、こっちの方が全然高くついてるよ。でも、ちゃんとおいしいし、楽しいからいいの。農業は難しいから何度も失敗もするけど、それがまた楽しい。そんなの自分の畑じゃなかったら、やれないじゃない。仕事なんて、楽しいことがなくなったら、つまんないよ。いつも、いつも、お金だけじゃないから。
開:確かに、ここにいると頭がリフレッシュされる感じがする。
幹:鮮度だって抜群ですよね。普通は、収穫して3日くらいかけて、市場挟んで店舗という流れですから。
梁 : ここだと、前の日か、その朝。それに、ここで夢中で草取りしてると、頭の中が空っぽになって、いちばんのストレス解消になるよ(笑)
梁さんの故郷、(中国)東北地方の寒期は長い。冬の間、田畑は見渡す限り、雪に埋もれてしまう。野菜は秋に収穫して、晩春まで食べ繋ぐことしかできない。そのため、食材の保存方法の知恵が豊富になっていく。白菜を塩水に漬けて自然発酵する酸菜は、その代表的なものだ。そのほか、大根、高菜、からし菜、唐辛子まで、すべて漬物にして発酵させる。漬物は炒めたり、餃子の餡にしたり、炒飯の具にしたり、唐辛子の漬物はペーストにして調味料になる。
開:さっきも菜の花や小松菜、たくさん収穫してましたけど、あれって余ったりしないんですか?
梁 : 余るよ(笑)、だからラボに集めたら、各店に卸した残りは全部塩漬けにして(屋上で)天日に干して漬物にする。昔は冬の間は、漬物しかなかったからね。でも、それがいい味になるんだ。
幹:最近では、北欧を中心に発酵が世界で注目を浴びていますよね。
梁 : あの辺りも寒くて、夏が短いところだからね。
幹 : でも、まぁ中国は注目しなくても、元々そこにあるという……。
開:でも、カンちゃんがやってるタイ料理も、暑い地域の料理なのに発酵多いよね?
幹:保存の知恵が、料理を進化させるのかもしれないね。たくさん採れておいしい旬の時期のものを、どうもたせるか?
梁 : そうだね、それが庶民の知恵だと思う。私の料理は、みんなお母さんが作ってくれた東北地方の家庭料理だから。
足立区の秘密基地で、味坊集団の実力にギブアップ。
2000年に味坊がオープンした頃、羊肉(ラム&マトン)は今ほど人気ではなかった。それまでの食べ方は、北海道の御当地メニューとして知られるジンギスカンが主流。しかし、甘辛いタレと、独特の風味がある羊肉の組み合わせは万人好みではなかった。そんな偏見に終止符を打ったのが、味坊の羊肉の串焼きだ。モンゴルに近く、豚よりも、むしろ羊を食べる黒竜江省出身の梁さんの味付けは、それまで日本人が体験したことのない味覚だった。味の決め手は、クミン。それ以来、羊×クミンの組み合わせは、ダイエットにも効果的でお洒落なマリアージュとして、世の中に定着していく。
開 : 最初、あの羊串食べた時、衝撃だったなぁ。
幹:ゴマの香ばしさ、唐辛子の鮮烈、そして何といってもクミンだよね。
梁:羊にクミンっていうのは、モンゴルだけじゃなく、中央アジアの国々でもポピュラーな組み合わせなんだけどね。
開 : 日本人にとっては、カレーの中に入ってるかな、位の認識だったと思う。
幹:今じゃ、街のスーパーでも羊売ってるもんね。梁さん、羊って、今何カ国位から輸入されてるんですか?
梁 : ウチだと、ニュージーランド、アルゼンチン、アイスランド、あとイギリスのウエールズあたり。そのほかにもフランスや、オーストラリア、アメリカ産もあるから、日本に輸入されてるのは7カ国位かな。
開:味とか違うんですか、やっぱり。
梁 : 全然違う、飼育環境や肥育日数が違うから大きさも違うし、餌が違うから味も変わってくるね。ウチでは内臓系だと、アイスランド。
幹 : ほーっ、なぜ?
梁 : アイスランドは島全体が放牧地みたいなとこで、苔や野生のハーブなんかを食べて育ってるから、味がきれい。あとで、レバーと秘密の部位を出すから食べてみて(笑)
開: わわーっ、楽しみっ!
味坊工房のビルは、都内で5店舗を経営する味坊集団のセントラルキッチンであり、餃子や点心、漬物などの通信販売の製造工場。そして、大量に収穫される野菜の集積場でもある。このラボでは、あらゆる調理が可能だ。100以上の点心を同時に蒸すことができる蒸し器やコンベクションオーブン。米に至っては、15升炊きの炊飯器や、米穀店用の精米機も導入されている。
開: ここ、凄いね、なんだか。想像をはるかに超えてた。
幹:まず、梁さんが店を増やすんじゃなくて、どんどん畑を増やしたり、こんなとんでもない秘密基地を作ってたってことにびっくり。
梁:いやいや、もう畑は増やさないよ(笑)、余っちゃうもん。友だちのお店とかに野菜あげようかと思ったんだけど、今はコロナでみんな店休んでるし。
開:ここって、ポップアップとかやらないんですか?
梁 : おー、どんどんやってほしい。むしろ中国料理以外、他の料理人に使ってほしい、地方の料理人の期間限定店舗とか。きっと、私には思いつかない使い方だってあると思うから。
幹:えっ、タイ料理とのコラボイベントとかやってみたいな。
開:その時にはレモンサワー、作りますよ。
冷凍焼き餃子なら、1日10,000個。冷凍水餃子なら、1日5,000個が製造できるというラボ。今まで、東京でしか食べることができなかった本国そのものの、味坊の羊肉餃子が全国区の食べ物になった。まだまだ外食が制限されるコロナ禍の家庭の食卓に、味坊工房の味が届けられている。
開:さっきカンちゃんがつまみ食いしてた月餅って、通販で買えますか?
梁 : もちろん! 餃子や羊肉抜いて月間売り上げ1位になったりしてるよ(笑)
幹:だって、あれ、めちゃくちゃおいしいもん。梁さん、点心の店とかやんないんですか?
梁:実は、今度、代々木八幡でやる予定だから遊びに来て。
開:そう言えば、さっき枝肉を吊るせる解体施設とかもあったけど、肉とかも通販してるんですか?
幹:あの羊串とか、専用のスパイスとか、あとアイスランドのラムなんかも興味あるな。
梁:全部、買えるよ、よろしくお願いします(笑)
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ラボ併設の「吉味東京」で、内モンゴル仕込みの羊肉を堪能。
味坊集団の巨大なラボ探訪を終えた腹ペコのふたりに、お待ちかねのディナータイム。スペシャリテの羊肉のほか、テーブルには所狭しとつまみや前菜が用意されている。セントラルキッチンに併設された吉味東京は、60席のキャパシティを持つ貸切専用の広大なスペース。この時期は稼働が難しいが、最新鋭の通信カラオケも完備し、ちゃんと防音設備も施されている。まずは中国の焼酎とも言うべき白酒で乾杯して、その後はハイボールやレモンサワー、自然派ワインなど、思い思いの酒で、見る見るうちに羊肉が骨になっていく。
開 : 何!このスペアリブ、めっちゃ旨い!
幹: ヤッバぁ!
梁: やっぱり、丁寧に時間かけて炭で焼くとおいしいよね。焼いてる彼は、内モンゴルで羊丸焼きの資格を持ってるから、場合によっては民族衣装を着るんです。
幹 : この羊はどこの国なんですか?
梁 : バラとモモ肉はニュージーランド、レバーとコレはアイスランド。コレはたぶん、日本ではウチでしか食べれないよ(笑)
開 : てか、さっきから笑ってますけど、コレってどこですか?
梁:羊さんの男性の部分。
開 : ああーっ、立石の宇ち多゛とかだと、ツルっていう場所か。
幹 : それにしても、スペアリブもおいしいけど、モモ肉もおいしいなぁ。そのまんまでも凄いけど、調味料で味変するといくらでも食べられる。
梁 : いつものクミン味もいいけど、このニラも試してみて!
実は味坊を開店する前の1997年に、梁さんは最初の店を開いている。しかし、決して第一号店とは言わない。「生活のための中華店、いわゆる日本のラーメン屋さん」、中華料理であり中国料理ではないのだ。麻婆豆腐や酢豚、青椒肉絲などの出前で暮らしは安定した。しかし、少しずつ自分の中で芽生え始めていた違和感は、どんどん大きくなっていくばかりだった。化学調味料を多用する中華の料理法にも納得がいかなかった。母がいつも作ってくれた、東北地方のあの味を東京で伝えたい。たとえ食べたことがなくても、「おいしい」という共通語はすべての人に伝わるはずだ。そんな思いで開店したのが、JR神田駅高架下の味坊だった。
幹:梁さん、スープや調味料だけじゃなく、とうとう野菜まで作ってる訳ですけど、さっき厨房で見かけたけど、ひき肉も全部、塊から?
梁:そうそう、やっぱり機械で挽いたのとは丸っきり、味が違うから。包丁で叩いて作らないと、あの餃子の味にはならない。
開 : 味坊がヒットした後も、チェーン店を作るんじゃなくて一つひとつ違うコンセプトの店にする、そのあたり、とても尊敬してるし、共鳴してます。
梁 : 畑もそうだけど、その方が自分も勉強になるし、楽しいじゃない? ビジネスより、楽しい仕事、それがいちばん大切。
幹:梁さんが楽しそうにしてるから、みんなおいしいんだと思う。楽しさとおいしさは、いつも繋がってるし、そうじゃないとダメだね、きっと。
開 : まだまだ飲食業界は辛いことが多いかもしれないけど、そんな今だからこそ僕ら何か楽しいことを仕掛けないとね。まずは、さっそくホームページから色々と発注しようかな?
幹 : それもそうだし、友だち集めて、みんなで安心して笑顔で丸焼き囲みたいね。そんな日が早く来るといいなぁ。
梁 : まぁ、色々と行き詰まることとかあったら、ウチの畑で草むしりしてよ(笑)
幹&開 : 了解です、ホントにすぐ来ちゃうかも、です。今日はありがとうございました。
梁: こちらこそ、どうもありがとう。羊焼いて、待ってるよ!
吉味東京
東京都足立区一ツ家1−20−15
TEL : 03-5831-5800
完全予約制 不定休
https://www.ajibo.jp/company.html
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