書家・吉川壽一×デザイナー・菊池武夫、“書”がつないだ新たなクリエイションの世界とは。

  • 写真:杉田裕一
  • 文:遠藤 匠
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日本伝統の書の世界に新風を吹き込んできた書家の吉川壽一さんと、日本のファッションシーンを牽引し続けてきたデザイナーの菊池武夫さん――。ふたつの才能がめぐり合い、新たなコラボレーションが誕生しました。その魅力を、ふたりの対談を通してひも解きます。

福井県にある吉川壽一さんのアトリエで初対面し、コラボレーションに挑んだふたり。吉川さんが選んだ「龍」「武」「明」「無」という4つの文字を、ふたりの合作としてほぼ即興で書くことから制作はスタートした。背景にあるのが、その作品。

伝統に根ざした書の世界に新風を吹き込んできた書家の吉川壽一さんと、ファッションシーンで新たな世界を切り開いてきたデザイナーの菊池武夫さん。それぞれのフィールドで才能を遺憾なく発揮し、業界を牽引してきたふたりのコラボレーションが実現しました。

吉川さんのアトリエで出会ったふたりはともに筆を取り、ほぼ即興でいくつかの文字を書くことに。そして、その作品を菊池さんがデザインに取り入れ、ひとつのコレクションとして仕立て上げました。ふたつの感性がぶつかり合って生み出されたダウンジャケットやシャツ、カットソーは、それを身に纏うだけで力がわいてきそうなほどエネルギーに満ちあふれています。今回は、その刺激的な制作過程をふたりに振り返ってもらいながら、コレクションの魅力に迫りました。

コレクションのひとつであるダウンジャケット。バックプリントに配されたのは、「明」という文字を書いた作品。“日”の部分は菊池さん、“月”の部分は吉川さんがそれぞれ担当した。筆致やサイズ感にふたりのキャラクターがにじみ出ている。

和と洋の才能が響き合い、新たに生まれたコラボレーション

吉川壽一(書家)●1943年、福井県生まれ。NHK大河ドラマ『武蔵』や漫画『バガボンド』(講談社)などの題字でも知られる、日本を代表する書家。中国の天安門前で大揮毫を行うなど、書という枠組みに収まらない自由な発想を開拓している。

菊池武夫さんが、吉川壽一さんのアトリエを訪れることから始まった今回のコラボレーション。あえて事前の打ち合わせは行わず、いきなり筆を使った“セッション”に挑むことから制作がスタートしました。まずは、その共同制作の感想を語ってもらいました。

吉川 今回はいきなり私の工房にお越しいただいて、しかも大勢の人が見ている前で書いてもらいました。菊池さんは、ものすごく緊張なさったのでは?

菊池 緊張と言いますか、普段は筆なんてほとんど持ったことがないわけですから、そこにまず楽しさを感じました。もちろん緊張もしましたが、もし私がファッションではなく、書の世界にいる人間であれば、きっと吉川先生を前にしてもっと緊張して萎縮していたはずです。先生の“恐ろしさ”を知らないデザイナーだからこそ、筆を取ることができたのかもしれません。

吉川 普段、筆を持っていないからこそ、書自体にインパクトが出たのかもしれませんね。非常に迫力のある文字を書かれていましたから。

菊池 恐れを知らないことが、いいかたちで表れたのかもしれませんね(笑)。

菊池武夫(デザイナー)●1939年、東京都生まれ。注文服の製作からキャリアをスタートし、75年にメンズビギを設立。翌年には渡仏し、パリ・コレクションデビューを果たす。84年にタケオキクチを立ち上げ、DCブランドブームの火付け役に。一時期ブランドを後任に引き継ぐが、2012年にクリエイティブディレクターへの復帰を果たした。

ところで今回、初対面となるふたりは、お互いにどんなイメージを抱いていたのでしょうか。それぞれが表現しているもの、仕事についての印象も含めて語ってもらいました。

菊池 私自身は、まず日本古来の書というものに興味をもっていました。かたち自体が非常に美しいですし、中国から日本に根付いていく過程で変化していったものとして見ても面白い。もちろんそうした書の世界で活躍されている吉川先生の存在は知っていましたが、その経歴を改めて拝見すると、やっていることがものすごい。書を超えてアートの世界に踏み込んでいる。書の世界にいながら、絵画とまったく同じような感覚をもたれているわけですから。

吉川 いえいえ私こそ、あのタケオキクチが福井にお見えになるということで、ものすごく緊張しました。スーツの話はまったくできないけれど、どうしようかと(笑)。でも同時に、いろいろなお話をしたいと思いましたね。

そんなふたりの対談は、表現というものに対する考え方にまで及ぶように。それはまず、菊池さんが気になっていたことを質問するところから始まりました。

菊池 ところで吉川先生は長い間、書の世界で活躍されていますが、そうした中でもどんどん新しいアイデアを出して先に進んでいるイメージがあります。卓越し完成しているのに、まだ動き続けている。そういった印象なのですが、ご自身はどんな思いで表現活動をなされているのですか?

吉川 なんと言いますか、なにかの枠にはめて考えるのではなく、それを解き放ち、イチから考えるというイメージでしょうか。最近になってそういった感覚が、なるほどとわかるような気がするのです。私の師匠は、かつてこんなことを言っていましたね。「75歳を過ぎたくらいから、サッとなにかが見えるようになる。だからそれまでは、必死になってやっていればいいよ」と。そうしたらその言葉どおり、少しずつなにかが見え出した気がするのです。

菊池 なるほど。私自身も70歳を超えた頃から、自分のやっていることがはっきりとわかるようになってきた気がしますね。

作品の制作風景。菊池さんが出版した自伝から着想を得て、ブルーの台紙に貼り付けた和紙に書いていく。墨汁にもこのブルーが用いられ、ふたつの異なる感性が混じり合ったイメージが強調された。
吉川さんが書き始めた「武」という文字の仕上げを、菊池さんが引き継ぐ場面も。互いにひとつの道を極めた者同士の感性が響き合っていく様子が、なんともスリリングだ。

コレクションのベースとなる作品の制作現場では、菊池さんのトレードマークの帽子を「無」という文字の上に描くなど、絵画的なアプローチが飛び出す場面も。そんなアトリエでの共同制作で、ふたりはどんな感想をもったのでしょうか。

吉川 書ということにとらわれず、いろいろなモチーフも描きました。

菊池 たくさんの人に見られているから、緊張しましたね。それでも、そこそこ書けていると思いませんか? 「明」という文字などは、“日”よりも“月”のほうが大きくて力強くなっているところが面白い。

吉川 一部分をギュッと引き締めることで、全体に立体感や勢いが出てきます。全体的に躍動感が伝わってくる作品になりましたね。書いている過程で、気持ちがグッと入っていくのがわかりました。それができるのは、やはり達観したものがある方だからこそ。なかなか一気呵成にはできることではありません。

菊池 私にしても、吉川先生にしても、つくっているものを人に見せるということが最終目的。だから今回のように、大勢の人に見られながら制作することには意味があったのかもしれません。やはりふたりだけで他に誰もいないところでは、今回のようなエネルギーを出すことは難しそうです。

吉川 そうですね。あのような“場”をつくり出すことで、筆を動かすことができる。多くの人が見つめる中でやると、やはり気持ちが高揚します。

“ジャパン・メイド”を世界に発信するために、いま必要なこと。

書でよく見かけるシンメトリーなレイアウトから逸脱し、作品が左右非対称に配置されたシャツに、感嘆の声を上げる吉川さん。菊池さんによれば、これもデザイン性を削ぎ落としたシャツだからこそ映える表現だという。

こうして完成したコレクションに対して、ふたりはどのようなアプローチで取り組み、そしてどんな感想をもたれたのでしょうか。

吉川 これは他の作品を制作する時にも共通することですが、まず四角いマス(枠)をつくり、そこになにを書くのかという流れが基本になります。今回はそのマスを、菊池さんをイメージしたブルーにしようということが、スタート地点になったというわけです。

菊池 何年か前に出版した自伝の表紙が、まさにこの色でした。それを使っていただいたことに驚きましたね。墨汁に関しても、黒とブルーの2色を用いるというアイデアが面白い。一般的な書のイメージは、モノクロームの世界ですから。

吉川 菊池さんはデザイナーですから、やはり色にこだわられるというイメージで考えました。実際にシャツやカットソーに取り入れていただくと、お互いの個性の強弱が表現されて面白いですね。どんなものでも一体化しすぎてしまうと、あまり面白みがなくなってしまいます。

菊池 書は和のもので服は洋のものですから、基本的なコンセプトとしては、それらを融合させることを考えていました。しかし仕上がりを見ると、和が洋に転じている印象もあるし、その逆で洋が和に転じている印象もありますね。

吉川 そういったコントラストも表現されているので、着る人も興味深いと思いますね。

冒頭で背面を紹介した、パラシュートボタンを採用したミリタリーテイストのダウンジャケット。バックプリントはもちろん、ライニングに配された書のモチーフから、このコレクションが特別なものであることが伝わってくる。¥79,920(税込)

ふたりのセッションによって作品が完成したら、それをコレクションのデザインに落とし込むのは菊池さんの役割です。果たしてそれは、どのようなアプローチだったのでしょうか。

菊池 1980年にも、筆で書かれた作品をシャツにしたことがあるのですが、今回もその経験に基づいて、まずはシャツに使いたいという思いがありました。シャツに代表される洋服というものは、基本的に日常で着るもので、そこに対して少しだけ新しさを加えたい。そんな考えから、服自体はできるだけプレーンで着やすいデザインに。作品を邪魔しないという意味でもそうしました。

吉川 今日初めて拝見しましたが、書の使い方に驚かされました。普通は、書というと文字をシンメトリックに扱うものなのですが、シャツにしてもカットソーにしてもまったく左右対称ではない。そこがすごいと思いましたね。これは人間にも言えることなのですが、どこかに柔軟さがないと面白くない。硬い部分だけでなく、やわらかい部分をもっている人には、なぜか語りかけたくなりますよね。そういう意識をもっておられることが伝わってきます。

菊池 やはり自然体がいいですね。私自身が、なにかに縛られるのを嫌う性格なので。自由なのがいちばんです。

吉川 私もまったく同感です(笑)。

小襟でもロングポイントでもないレギュラーカラーを採用した、きわめてプレーンなドレスシャツ。ディテールを削ぎ落としたデザインが、書の躍動感を引き立てる最高のキャンバスに。左のシャツの背面ヨーク部分には、菊池さんのトレードマークである帽子がプリントされている。各¥19,980(税込)
白のカットソーのフロントにプリントされた模様は、吉川さんが描いた作品の中から菊池さんがセレクトしたもの。黒のカットソーは、ふたりの合作の文字「明」をバックプリントに採用したデザイン。ともにドロップショルダーのビッグシルエットで、いまの気分を表現している。各¥9,720(税込)

和と洋のコントラストや融合という話も出ましたが、菊池さんは近年話題となっている“ジャパン・メイド”を発信する動きについて、吉川さんの考えをお聞きしたいようです。対談のフィナーレは、このテーマで盛り上がることに。

菊池 先ほどから和というものについても話していますが、吉川先生はジャパン・メイドを発信する動きについてはどのようにお考えですか?

吉川 私の場合は、ファッションのことはわかりませんが、和というとまず紙のことを考えますね。たとえば手漉きの和紙とわら半紙の違いを問いかけた場合、フランスでは手の感触でその違いを感じ取り、答えることができる人が多かったように思います。実際に手で触れてみれば、なにが違うのかを認識できる人が多いということです。そういう意味では、布地に関しても同じことが言えるのかもしれません。そういった違いがわかる人がいるからこそ、世界で認めてもらうためには、クオリティの部分で真剣勝負をしていかないといけませんね。

菊池 まさにおっしゃるとおりです。紙にしても布地にしても、その違いを感じる力を日本人はもっています。かつて私が服づくりを教わった先生から、こんなことを学びました。服づくりの基本は、「どうやって布地を美しく垂らすか」ということにある。生地が織られている方向を無視して使うと、綺麗なラインを描くことができません。また同時に、品質がよい生地ほど身体に美しくフィットします。粗悪な布地では、身体のフォルムを綺麗に描き出せないのです。フランス人に限らず、日本人もそうしたことがわかる感性をもっているわけですね。だからジャパン・メイドであることを声高に叫ばなくても、このような本質的なことを理解できる感性を活かしたモノづくりをしていれば、その魅力が自然と伝わるはず。和食に限らず、日本のさまざまな文化が本当の意味で理解され始めているいまだからこそ、こうしたスタンスが大切なのだと思います。

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