【証言者が語る】中編:“庶民感覚を忘れない”佐藤可士和の意外な一面。

  • ポートレート:齋藤誠一
  • 文:泊 貴洋
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佐藤可士和の魅力を、第三者の目線から語る全3回の記事【証言者が語る】。今回は日清食品の安藤徳隆、くら寿司の齋藤武彦が登場。プロジェクトのエピソードから見える、佐藤の意外な一面とは?

左から順に、くら寿司 執行役員 マーケティング本部長の齋藤武彦、日清食品社長・安藤徳隆。

佐藤可士和の肩書きは、クリエイティブディレクター。この職業は一般的に、クライアントからの発注を受けて制作を行う。しかし前編で楽天社長・三木谷浩史が語ったように、佐藤は企業のトップと話し合い、コミュニケーション戦略や経営戦略にまで関わるという、唯一無二のクリエイティブディレクター像を確立している。

中編では、 “参謀”として佐藤に信頼を寄せる日清食品社長、これまでの知見を活かしたブランディングが進行中のくら寿司執行役員が登場。彼らはなぜ、佐藤を求めるのか。今後の佐藤に期待するものとは?


1.日清食品・安藤徳隆/「千利休のような存在」
2.くら寿司 執行役員・齋藤武彦/「みんなが幸せになるデザインを」


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1.日清食品・安藤徳隆/「千利休のような存在」

インスタントラーメンを発明した創業者・安藤百福の孫にあたり、2015年、日清食品社長に就任した安藤徳隆。

佐藤可士和がブランディングに関わっている企業のひとつが、日清食品だ。同社社長の安藤徳隆(のりたか)と佐藤の出会いは、2009年。安藤は当時、「カップヌードルミュージアム」の構想を練り、クリエイティブのパートナーを探していた。

「たまたま私の親戚が可士和さんとパパ友で、『夕食会の席が一席空いたから来ない?』と誘われたんです。可士和さんのお仕事は、さまざまメディアで拝見していたので、一度お会いしたいなと思っていました。これは何かの縁かもしれないと思い、慌てて『佐藤可士和の超整理術』を読みました(笑)。改めて可士和さんがどういう思考をお持ちの方なのかを勉強して、『これはもう、可士和さんしかいない』と。会食の当日は、質問攻めにしてしまい(笑)、その翌日には『一緒にミュージアムをつくっていただけませんか?』とメールしました」

こうして、佐藤とともにつくり上げた『カップヌードルミュージアム 横浜』は11年にオープン。外観からコンテンツまでユニークな同館は横浜の新たな人気スポットとなり、1年弱で来館者100万人を突破して話題になった。

日清食品の名刺の数々。「いまは30種類くらいあります。私はその時の気分で、売りたい商品の名刺を出しています」
2018年発行の「日清食品60年史」。「『欲しい』と言ってもらえる社史にしたいと思い、創業者である祖父を侍に仕立てたコミックで作りました。社史にも関わらず、『この社史はフィクションである』から始まるんです(笑)。」

「会社の歴史からイズムまで、すべてを理解していただかないと企業ミュージアムはつくれない。最初に可士和さんとミュージアムをつくったことが、のちのちの仕事にも大きく役立っています」と安藤。以降、二人三脚で立ち上げた「カレーメシ」が大ヒット。「チキンラーメン」「日清焼そばU.F.O.」のブランドコミュニケーション、商品型の名刺やハードボイルドコミック社史なども佐藤が担当している。

「私が社長になった頃、『なにを売っているのか、すぐわかる名刺にしたい』と相談すると、商品パッケージそのままの形をした名刺を提案されました。さっそく役員会で提案したら、『ふざけすぎている』『お葬式で使えないじゃないか』と年配の役員からはさんざん文句を言われました。でも、いざ名刺を変えてみると、文句を言っていた役員が『この名刺、とても評判がいいんですよ』と(笑)。初めてお会いする人でも、この名刺があれば話が弾みます。『違う商品の名刺も欲しい』とおっしゃる方も多い。日清食品のユニークさを第一印象から感じ取ってもらえるので、非常に役立っています」

同様に「ユニークさ」を発信したのが、ハードボイルドコミック社史や、関西工場の見学施設だ。社史は世界的広告・デザイン賞の「D&AD」でYELLOW PENCIL(金賞)を受賞。関西工場の見学施設は、国内最高峰の広告賞「ACC TOKYOCREATIVITY AWARDS」にて総務大臣賞/ACCグランプリに輝いた。

2019年に手がけた日清食品 関西工場の見学施設。上空から見ると、エントランスの屋根がカップヌードルの蓋になっている。
関西工場の見学通路。200メートルもの長さの通路にモニターが並び、工場の音をサンプリングした電子音楽が流れる。「生産ラインに入れないなら、インスタレーションのように見せようというアイデアをいただきました」

出会いから12年。安藤にとって、佐藤は“茶聖”千利休のような存在だという。

「戦国時代の茶室は、刀を置いて入る、絶対の安全空間。信長や秀吉ら武将たちは、そこで自分の戦略を話し、問答していたと思います。私も月に1度、可士和さんと『クリエイティブディナー』という場を設けています。そこでは新しい企画だけでなく、会社の経営やこれからのあり方などについて私の胸の内を明かし、可士和さんの考えを聞いて、ブラッシュアップしていくんです。そういうことができるクリエイティブディレクターは、ほかにいない。戦略の参謀であり、軍師のような存在です」

信頼する参謀の意外な一面を聞くと「テレビ番組の『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』や『サンデー・ジャポン』のような庶民的な番組が好きなところ」と笑う。

「もっと難しそうな番組を見て、高尚なことを考えているのかと思ったら、意外ですよね(笑)。そんな普通の感覚と、トップ・オブ・トップのクリエイティビティ。両極を持ち合わせているからこそ、多くの人に広く受け容れられるところまでアイデアをデザインに落とし込めるのだと思います。日清食品のビジネスは、いまのところインスタントラーメンがメインですが、次の100年を見据えれば、新たな食文化を生み出していかなければならない。そのための戦略立案やブランディングを、これから可士和さんと一緒にやっていきたいですね」

安藤徳隆●1977年、大阪府生まれ。2007年に日清食品に入社。経営企画部部長や日清食品ホールディングスCMO(グループマーケティング責任者)、CSO(グループ経営戦略責任者)などを歴任し、15年より現職。16年には日清食品ホールディングス代表取締役副社長・COO就任。ビジネス誌において「世界を動かす日本人50」に選出。

2.くら寿司 執行役員・齋藤武彦/「みんなが幸せになるデザインを」

くら寿司 執行役員 マーケティング本部長の齋藤武彦。「私が入社したのは、大阪・堺にまだ10店舗くらいしかない頃。当時から佐藤可士和さんのSMAPの仕事を見たりして、いつかこんな方と仕事をしてみたいと思ってました」

回転寿司チェーン大手のくら寿司。2019年、グローバル展開を加速させるタイミングで、クリエイティブディレクターとして契約したのが、佐藤可士和だった。佐藤にオファーした中心人物が、くら寿司 執行役員の齋藤武彦だ。

「売上高1000億を突破して、世界に出店していく際に、ブランディングが重要だということになって。どの人にお願いしようかと調べたら、ユニクロさんや楽天さん、セブン-イレブンさんの『セブンカフェ』やホンダさんの『N-BOX』など、身の回りのほとんどのデザインを可士和さんがやっていると気付きました。社内でも『絶対、可士和さんがいい』という話になって、会いに行ったんです。その時、可士和さんの奥さんである悦子さんが推薦してくれたらしいんですよ。『くら寿司はいまは業界2位だけど、1位になる可能性あるし、いろんな革新的なことやってる企業』と。それで可士和さんが『ぜひ』と言ってくれて、お付き合いが始まりました」

佐藤がまずデザインしたのが、この新たなブランドロゴ。江戸文字をベースに、海外で通用するよう欧文も配した。「大きくしても、小さくしても存在感がある。すごく評判がよくて、皿も全部このロゴ入りに変えていってるんですよ」

オファーを引き受けた佐藤は、社長に何度もインタビューを行い、創業時の思いや企業理念などを吸収。歌川広重の浮世絵にくら寿司の原点を見い出し、江戸文字の新ロゴをデザインするとともに、グローバル旗艦店のオープンを提案した。

「可士和さんと既存店に一緒に行って『ポスターとかラミネートとか、ごちゃごちゃしてて嫌なんですよ。どう直したらいいですか』と相談しました。そうしたら、『言い方は悪いけど、剥がしてもゴミ屋敷を掃除する感覚になるだけ。新しく家を建てて、そこに引っ越した方がいい』と。そのためには見本となる店をつくろうということにあり、新店舗の候補リストを見てもらったら、『ここ、いいじゃない!』と言われたのが、浅草。実は以前『天才・たけしの元気が出るテレビ』を収録していたスタジオなんですよ。天井が5メートルありますから、やぐらの下で寿司を食べるような空間にしたら、インパクトが出る。しかも浅草は日本有数の観光地。ここにグローバル旗艦店をつくろうということになったんです」

2020年にオープンした浅草ROX店は、常に売上げの上位にランクインしているという。

浅草ROX店。白木を使ったモダンな空間は、特許庁により国内初の内装意匠に登録された。「可士和さんが特にこだわったのは、ドイツ製のペンダントライト。『もっと安いもので……』と相談したら『これだけはこだわらせて』と(笑)」

ロゴや旗艦店を皮切りに、フェアのロゴからテレビCM、ホームページの監修、新店の内装や外装まで、佐藤によるくら寿司のリブランドが進んでいる。

「可士和さんは、高級ブランドもロゴが付いてることが重要で、ロゴにお金を払ってるとも言えるから、どれだけの思いがそこに込められているかが重要だと。また、『同じものでも、空間がよければ上質になる』という話が印象的でした。くら寿司は全皿100円ですけど、いい空間で食べる寿司とそうでない場所で食べる寿司はまったく違う。だから空間デザインが重要だとおっしゃっていました」

また佐藤はよく店を利用し「ここを直したらいいんじゃないか、とLINEしてくれるですよ」と喜ぶ。今後期待するのは「みんなのためのデザイン」と齋藤は言う。

「東京の駅はとても複雑ですよね(笑)。可士和さんは『仕事の基本は整理』とおっしゃっているので、駅をはじめとするインフラのデザインをしてくれたら嬉しいです。それから浅草や富士山などの観光地のブランディングをしてもらえたら、日本の価値が上がると思うんですよ。企業を飛び越えて、みんなが幸せになるデザインをしてほしいですね」

齋藤武彦●大阪府生まれ。1998年、チェーン展開を始めていたくら寿司に入社。2002年、東京進出第1号店の店長を務める。以降、多くの新店オープンを手がけ、11年より広報宣伝部と経営戦略部を兼任。

※前編はこちら
※後編に続く

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